眠るのは好き。
 私の過去生たるセリアン、そしてアポロニアスとの記憶が、何よりもリアルに再現される時間だから。


 私の前から、お兄様が――いなくなるまでは。



*****



「――ッ!」
 布団を跳ね除けるほどに勢いよく腹筋で上半身を起こして、ぱちぱちと数回のまばたき。
 ここどこ? 私の部屋? いつの?
「……ぁ」
 今の、私の部屋……で、いい、みたい。
 まだ軽く震え続ける左手に気付いて、それを右手で強く握る。そうすると一応おさまってはくれた、見た目だけは。
(紅い、ゆめ)
 一面の紅が最後の場面だった。それに続く詳細を思い出そうとすると胸の奥がきゅっと苦しくなって、手繰っていた記憶の糸を手離してしまう。
 何だったのだろう、とても、とても――
(悲しくて……辛い)
 まだ震えの止まってくれない手のまま、自分で自分を抱きしめる。体の中に残された感情を宥めるように、そして、外に出さないように。
 出してしまえればきっと楽になれるのだろうけれど、でも、手放すことはできない。
 理由もなくそう思ってしまった私は、そうするしかできなかったのだ。
(アポロニアス……お兄様)
 絶対に連れ戻す、そのために。
 そのためにあえて、ずっとずっと繋いでいたものを断ち切ったのだ。気が付けば隣にあった、大切なものと繋ぎ直すために。
 ふと見上げると、窓の外の月は静かに佇み、淡い光を放っている。
 私の心臓は、きつく締め付けられながらも早鐘を打っていて。

 ――窓越しではなくて、直に浴びたら穏やかに眠れるだろうか。



*****



 誰も起こさないようにとそっと部屋を抜け出して、二回ほど、向かうべき方向を躊躇する。
 一度は、男子の――ピエール曰くのタコ部屋がある方。当然だけどこんな時間に女の子が一人で向かうところではない。はしたない以前の問題だ。
 けれど、おそらくはそこで寝こけているであろう人物を思って、ただ足が止まっただけ。
 声が聞きたい。顔が見たい。繋いだ手をもう一度握って、これこそが現実なのだとわからせて欲しい。
(お兄様のいない、現実――いま)
 また別の方を見やる。お兄様の庵がある方向。
 入ることはできた。けれど主のいないあの部屋に、私はもう意味を見出せなかった。
 結局、曲がろうかと思案した道には一歩も踏み入れることなく、私はただまっすぐ廊下の先を目指した。
 突き当たりは、森が見渡せるバルコニーだ。



 触れた手摺りに温もりなどあるはずもなく、その冷たさを自身に染み込ませ、その代わりに己の熱を与える。
 何も返らない一方的なその行為を、まるで罰のように受け入れながら、私は闇夜に輝く月を見上げた。
「……」
 これで、月光を浴びる、という当面の目的は果たせた。しかし望んだ効果は得られていなかった。
(……眠れ、ない……今眠ったら、また同じ夢を見そう)
 詳細は思い出せないのに、そこから受けた感覚だけは全て明確に思い出せることができる。
 考えただけでなく、ただ目を閉じただけですら、それは私を苛んで――
「シルヴィア?」
 聞き覚えのある声で、私はひどく唐突に現実へ引き戻された。
 これも夢じゃありませんようにと奇妙な焦りを持って振り向く。その先にあったものは、私が求めていた現実だった。
「アポロ。……どうして」
「腹減ったんで食ってきた」
 食堂に忍び込んで食い散らかしてきたその帰り、ということだろう。
 ただいつもだったら土産代わりの戦利品を山ほど抱えているのに、今のアポロは何も持っていなかった。欠伸を噛み殺すところを見るに、もしかしたら睡魔に負けて戻ってきたのかもしれない。
「お前こそ何してんだよ」
「……目が、覚めちゃって」
 嘘はついていない。けれど事実の全てを言う気にはなれなかった。
 続くかもしれない追求を恐れて私は前を向く。
 バルコニーから見渡せる景色。夜闇に沈む森。それを優しく照らす月。
 それらは何一つとして変わっていないのに。
(……お兄様も私も、変わってしまった)
 二人きりの兄妹だったのに。
 とっても仲が良かったのに。
 あんなに大好きだったのに。
(こんな日が来るなんて)
 お兄様と別れる日が来るなんて、思いもしなかった。

 ――それも、まさか私の方から拒絶するだなんて。

「後悔、してんのか」
 アポロの言葉はいつだって、私を混沌の中から現実へと引き戻してくれる。
 それが嬉しくないといったら多分嘘だ。私を呼んで、私を必要としてくれるアポロ。
 ずっと昔お兄様と二人きり、部屋に閉じこもっていたあの頃の――言いようのない不安定な感覚。今はほとんど感じることはなくなったけれど、でも時々、翅のことが話題になったりするとよみがえってくる。
 アポロの声はいつだって、その不安定な何かを打ち払ってくれた。地に足がついている感じがした。ここに居るという実感が湧き出てきた。
 でも今は――切れ味のいい刃みたいに、私をじわじわと傷つける。
「……」
 だから、答えられなかった。口を開いてしまったら、自分でその傷を開いてしまうようで。
「お前が悪いんじゃない」
「……でも」
 夢ではない、たった数日前の記憶が、今見てきたように再生される。

 ――最愛の妹に理解してもらえない、この痛みを!

「私が……お兄様を傷つけるだ、なん……て」
 ありえるはずがなかったのに。
 私は何てことをしてしまったんだろう。取り返しのつかないことをしてしまったと、そう思う。
 もちろん、私がお兄様について行くことがどんな事態を引き起こすか、それぐらいはわかってる。DEAVAに、ひいては人類に多大なる被害をもたらすことになっていただろう、ということは。
(でも、じゃあ、大勢の人を傷つけないかわりに……お兄様は傷つけてもいいの?)
 そんなこと、答えは決まって――
「お前だって、傷ついただろ!」
「ぇ……」
 さっきより近くで聞こえた怒声に、私は誘われるように振り向いた。というか、正確には45度くらい横を向いた。
 いつの間にか私の隣に立っていたアポロが、よくわからない顔をして私を見ている。
 怒っているような、でもどこか悲しそうで、泣きそうにも見える――でも絶対泣き言なんか言いそうもない強くて厳しい瞳。
 その赤味がかった二つの榛色が、私を射抜いて離してくれない。
「あいつだけじゃない。傷ついたのはお前も、麗花も、みんなだ」
「アポロ……」
「だから、お前一人で気にすんな。……しなくて、いい」

 私は頷けなかった。
 でも、首を振ることもできなかった。

 そうしたら、ずっと出てこなかった涙が後から後から溢れてきて、止まらなくなった。
 目元を覆った両手で押さえてもどうにもならなかった私の頭へ、アポロの手が軽く乗せられて。

 撫でるでもなく引き寄せるでもなく、ただ置かれただけのその手は、私が泣き止むまでずっとずっとそこに居てくれた。






 24話を見た後に某さんのアポシル文で萌え打ち震えて、気がついたら殴り打って日記に放置していたもの。
 某さん本当にいつもありがとう萌え……!

 アポシルは24話で最高潮に盛り上がってたので、じゃあ23話終わった頃はこの程度かなみたいな。
 23話であそこまで漢前にタンカきったシルヴィアたんがまさかいまだ大いに迷い中だとは誰が思おうか、いやない(反語)
 アポロが側にいないときのシルヴィアたんはうっかり迷いがちなので、アポロはおはようからおやすみまで四六時中シルヴィアたんにひっついてればいいとおもいます(それもどうか)

(2005/09/25 up)

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