歌手業を終えたその足でパスタリアに着くと、ルカは宮殿への道を足早に、やがて小走りになりながら進んでいった。
 移動時には出来る限り護衛を付けるようにと言われているが、その護衛は今別の任務で宮殿に居る。
 今日一日ついてくれた代わりの護衛をパスタリアに着くなりもう平気だからと強引に言いくるめて、ルカはたった一人で森と水の都をひた走った。
 自分の護衛役を務める、妹と同じくらい大事で大切な彼を迎えに行くために。



 ルカはあがりかけた息を整えながら宮殿の入口をくぐった。さて彼はどこにいるのだろうか。宮殿での任務だと聞いたものの具体的にどこで何をしているのかまでは聞いていない。
 とりあえず奥に行ってみようかと歩き出すと、見覚えのある甲冑が視界の端を掠めた。
 反射的に横を向いたルカの視界に、奥から出てきたお目当ての人物と同じ装備に身を固めた二人組が映る。なあんだ、とがっかりしたものの、とりあえずいいカモを見つけたとばかりに彼らに近づいていった。
「あの、こんにちは、お疲れ様です!」
 ルカは仮にも、新大陸を紡ぎ上げた希代の御子の一人である。そんな彼女に声をかけられた、大鐘堂付きの一兵士でしかない二人組は、ひどく驚いて慌てた後にしゃちほこばって礼を返した。
 二人の態度に少々辟易しながらも、ルカは笑顔でそんな畏まらないでくださいと辛抱強く声をかけ続け、数分後ようやくまともなやりとりができるようになった。
「ああ、クロアなら、もう少ししたら来ると思いますよ」
「隊長に報告があるとかで、さっき別れたところですから」
 必要な情報はあっさりと手に入った。下手に動かず入口付近で待っているのが良さそうだと判断したルカは、ふとクロアが来るまでの時間つぶしを思いついた。
 別に、彼を疑っているとかそんなことは一つとしてないのだが――それでも、叩いてみなければホコリは出てこないものだ。
 そう自分に言い訳しつつ――半分は興味本位で――ルカは早速その思いつきを実行に移した。
「ところで、お二人はクロアの同僚、なんですよね?」
「ええ、まあ、そうなりますかね」
「あいつはエースでしたからあちこちに狩り出されてましたけど、俺達はわりと組むことが多かった方だよな」
「あの……もしよかったら、クロアが来るまでの間、ちょっとだけお話聞かせてもらってもいいですか?」
「構いませんが、……やっぱ、クロアのことについて、……ですよね」
 ちらり、と二人が視線だけで会話を始めたのをルカは見逃さなかった。話しにくい何かがあるということだろうか? それはますます興味深い!
「あの」
 ルカは口元に手をあてて内緒話のポーズを取り、周囲に気を配りつつ二人に近寄った。
 自然と耳を寄せてくる二人に、小声で囁く。
「セラピ三割引、もしくは半額というのは。内容によっては無料もアリです」
 提案を終えると素早く二人から離れ、もう一度辺りを見渡した。よし、誰も見ていない。
 二人は視線では事足りなくなったのか、ぼそぼそと何かを話している。その様に脈有りの雰囲気を感じ取り、ルカは内心ぐっと拳を固めた。
「……じゃあ、俺たちが言ったってことは、クロアには内緒ってことで……」
「あの、絶対守ってくださいね。本当」
 交換条件を継げてくる二人がやたらと引き腰なのが気になったが、時間はクロアが戻ってくるまで、なのである。契約が成立した今、一秒でも惜しい。
 ルカはさっそく、常日頃微妙に気になっていたものの当人に聞いたところで正確な答えが聞けるかどうかわからなそうだったとある疑問を、二人にぶつけることにした。


*****


「……なあ、ルカ」
「ん? なに、クロア」
 宮殿からクロアの家へと向かう途中、自分から半歩ほど先にあるルカの背に、クロアは言いにくそうに告げた。
「何か、怒ってないか?」
「怒ってる?」
 たたん、ルカは数歩だけ走ってクロアから距離を取ると、くるりと振り返った。
「怒ってなんかないよ?」
 ほら、とばかりに笑顔を見せるルカ。
 夕陽を逆光にしたその表情から何かを読み取ることができず、クロアは小さくため息をついた。
「……まあ、ならいいんだが」
 でも何かがおかしい。さっきからにこにこと笑っているのは、決して上機嫌なだけではないはずだ。
 幼馴染みとして、恋人として、誰よりも何よりも大切な存在として――ルカという彼女を認識する彼の何かが、警告よろしくそう告げてくる。
 だがそれが何なのかはわからない。
 ので、クロアはルカの後ろについて周囲の気配に集中しつつ、彼女の違和感について考えを巡らせることにした。
(本当に怒っているわけじゃあなさそうだが……でも、何か不満に思ってる感じではあるよな)
 彼女は今日一日歌手業に専念していた。何か嫌なことでもあったのかもしれない。いつかのように、心ない言葉をかけられたのかもしれない――そう思うとクロアの腑が煮えくりかえりそうだった。
 いや、まだそうと決まったわけじゃない、想像上の敵に憤ってどうする。クロアは努力して自分を宥めた。
(とにかく、……――疲れてる、のか)
 何があったかはわからない。もしかしたら何もなかったのかもしれない。
 だが少なくとも、一日歌手業をこなしてきた彼女が疲弊していないわけはないのだ。ましてや昨日までは御子業で神経を磨り減らしていた彼女である。
 クロアは想像上の何かよりまず、自分を殴りたい衝動にかられた。
(バカだ俺は。身の安全だけ守るなら俺じゃなくても護衛は務まる。何のために俺が護衛の任を賜ったと思ってる……!)
 ルカの護衛役を命じたクローシェから、ルカの心ごと護るようにと、そのために貴方を専任とするのだと、その責務は重大であると、そう仰せ付かったはずだ。それを忘れて護衛気取りなど、今すぐクローシェから斬りかかられてもおかしくはない。
 ――だが、今は己の反省よりも先に、するべきことがある。
 クロアは一歩半ほど前を行くルカに追いつくと、その顔を横から覗き込んだ。顔色は――夕陽のせいでうまく判別できない。
「ルカ」
「なに?」
「今日の書類整理は明日にするか?」
「え? 何で……どしたの、急に」
「今日は一日あちこち移動して歌ってきたんだろ? 疲れてる時に無理するのはよくない。明日は俺も手伝うから」
 クロアから向けられる視線に、ルカはどことなく気まずい心地を覚えた。
 そして気付いてしまう。
(……えっと、何か勘違いされてるよーな……)
 怒っているのかと聞かれて怒っていない、と答えたのは本当のことだった。その回答を受けたクロアはおそらく、疲れているせいで怒ったような態度になっている、と解釈したのだろう。
 断じてそうではないのだが――まあ、面倒な書類との格闘を明日に引き延ばして貰えるのは、正直有難くもあり。
「じゃあ……そうさせてもらおうかな。あ、あとね、クロア、その……」
「何だ?」
「そのかわり、今夜クロアとお話したいんだけど……ダメかな?」
 頭一つ分の身長差で自然と上目遣いになるルカの視線を受け止めて、クロアはわかった、と頷いた。浮かべた笑みが苦笑にならないよう努力しつつ。
「まあ、あまり遅くならない程度にな。明日も早いんだし」
「うんっ」



 途中まで来たのだからとクロアの家に置きっぱなしだった書類を回収し、二人は宮殿へと取って返した。
 食事や風呂など、就寝までの準備を済ませてから、クロアは宮殿内のルカの部屋を訪れた。
 ルカは始めその逆――彼に割り当てられた部屋へ自分が赴く――を主張したのだが、そこはやんわりと断っておいた。二人の関係は周知の事実とはいえ、大っぴらに見せ付けて良いことなど一つもないと、ここ数ヶ月で嫌というほど学習させてもらっている。
 それに、彼女の部屋ならばわりと自制が効くものだ。部屋の配置的な意味で。
 招き入れられた部屋に入ると、クロアは端に置いてあったイスを取ってきてそこに座った。
 そんなクロアにルカは何か言いたそうな目を向けていたが、結局口を開くことなくベッドに腰を下ろす。そして、何故か少し居心地悪そうに手を何度も組み替え始めた。
「ルカ?」
「あっ、うん。……ごめんね、疲れてるのにわざわざ来てもらっちゃって」
「疲れてるのはルカの方だろ。俺はルカと話せて嬉しいけど、疲れてるなら休んでもらった方が」
「そんなことないよ! 疲れてなんかないってば。私だってクロアと話せて嬉しいし」
 そうか、とクロアがゆるく微笑むと、ルカは僅かに頬を染めて俯いた。
(……こんな正面から向き合ってクロアと話すの久しぶり、かも……)
 やがてルカはふるふる、と勢いよく首を振ってぱちん、と自ら頬を打ち、クロアを正面から見据えた。
「ねえ、クロア」
「な、何だ? というか、本当に大丈夫か?」
「平気。あのねクロア。その、……騎士だった頃に結構モテてたって、本当?」
「……唐突だな」
 些か驚きは隠せなかったが、クロアは答えるべき内容を「思い出」という過去形で想起することに成功した。知らず、口元が苦笑に変わる。
「モテてたかどうかはわからないが……何度かそういう申し出とか手紙とかはあったな」
「そ、それで……どうしたの?」
 前のめり気味のルカは両の拳を握りしめて、今にも詰め寄ってきそうな勢いだ。
「どうしたも何も、断ったよ。全部その場で」
「その場でって、手紙は?」
「ああ、手紙といっても手渡しされたからな。申し訳ないけど読まずに返して、断った」
「読まなかったの!? クロアそれ、ちょっとひどいよ」
 まるで我が事のようにショックを受けて、ルカは大声を張り上げる。その非難を素直に受け止めて、クロアは続けた。
「今は、俺もそう思う。でもその時の俺は、読む方が失礼だって思ってた」
「読まない方が失礼だよ。その子の気持ちが詰まってるんだよ?」
「そうだな。……あの頃、そういう手紙を読むってことは、多少なりとも相手に期待させることだって思ってたんだ」
「……どういうこと?」
「その気もないのに読んで、変に期待させる方が酷いって、そう思ってた。だってそうだろ? 俺にはルカがいるんだし。最初から断る以外の選択肢なんてなかった」
「そ……そう、なんだ」
 乙女心を理解しない女の敵、とばかりに責めようとした心地が、急激にしぼんでいく。クロアに告白して玉砕した見ず知らずの彼女たちに対し、何だか申し訳ない心地にすらなった。
「まあシンシアみたいなのもいたけどな」
「……」
 そう笑ってみせるクロアに、ルカはますます同意もできずに黙り込む。
(……やっぱクロアって女の敵、かも)
「――でも」
 クロアの声のトーンが明らかに落ちる。
 顔を上げたルカは、疑問系で彼の言葉を復唱した。
「その頃の俺は、ルカのことを何もわかっていなかったから……今考えてみると、本当に酷い奴だったな、俺」
「そ、そんなことないよ! というか、だったら私だって十分酷かったと思うし……」
 彼を慰めるのに自らを否定しなければならない。否定するのは何でもないのだが、彼はそうすることを嫌っている。ルカはそれを知っていた。
 だからルカは言葉が続けられずに、唇を噛んで俯くしかない。
「ごめん」
 ルカの頭に、温かく優しい手のひらが乗せられた。
「変なこと言ったな」
「ううん、私こそ変なこと聞いちゃって……」
 クロアの指先が、ルカの頭を何度か叩いた。もういい、の意を汲み取って、ルカは口をつぐんだ。ただ、唇はもう噛んではいない。
 しばらく沈黙が続いたあと、クロアがそっと手を離した。
「ところで、俺の昔のことは誰から聞いたんだ?」
「え? べ、別に、誰でもいいじゃない」
 あはは、と笑うルカが誤魔化そうとしているのは一目瞭然だったが、クロアはあえて問い詰めることをしなかった。
(まあ大方察しはついてるが……あいつらかな。一応、口止めはしといたはずだったんだけどな)
 代わりの問い詰める相手を定めつつ、クロアはイスから立ち上がった。今日はこのへんで話を切り上げて、ルカを休ませるべきだろうと思ったのだ。
 ただ、やはり何か言いたそうな顔で見上げてくるルカに、もう一度手を伸ばしそうになったのを自制しなければならなかったが。
「ルカ、もう遅いからそろそろ寝た方がいい」
「あ……うん」
 頷いて立ち上がったルカは、けれどその場から動こうとしなかった。普段なら見送るためにクロアより先にドアの方へ歩いていくというのに。
「クロア」
 ルカがようやく一歩を踏み出した。けれどそれはドアに向けてではなく、彼女の前に立つ恋人に向かって。
 そのまま何も言わず、ルカはクロアに抱きついた。顔だけを押し付けるようにして、背中に回された腕に力が籠もる。
 一時的に思考停止に陥ったクロアは、その細い肢体に手を回しかけ――くぐもった声がそれを止めた。
「あ、あのねっ。クロアが私のこと、昔から思ってくれてたの、すごい嬉しい」
「……」
「あのときは、私こそクロアのこと騙してたし、見せようとしてなかったし、……だから」
「ルカ、もういい」
 宙に浮いたままだったクロアの手が、ようやく動いた。
 決して抱き潰してはならないと己に言い聞かせながら、クロアは優しくルカを抱き締め返した。
「ルカの言いたいことはわかったから、もう言わなくていい」
「……うん」
 返事を聞いたクロアは少しだけ、自身の腕にかけた制限を僅かに緩める。


 ――さて当面の問題は、この腕を解くのに必要な努力がいかほどのものか、ということで。

 ある種永遠の命題じみたその難題に、クロアはルカに気付かれぬようそっとため息を吐いた。







 ルカたんからの嫉妬の流れを考えてみた場合、半ば理不尽気味に戦意喪失させられて終了だよねーとかそんな夢を見てみた(夢見てばっかだなあんた)

(2008/01/04 up)

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