「聞いたんだけど、クロアもスープのこと背負ってみたかったって、本当?」
 部屋に来て寝台の定位置に座るなり、ルカはそんなことを聞いてきた。
 記憶を探れば、いつだったかクローシェ様と交わした会話のことだと思い当たる。あれは確か、クローシェ様用のメタファリカをダウンロードした後だったろうか。
「ああ。クローシェ様から聞いたのか?」
 一応と思い確認を取ってみると、うん、と素直な返事が戻ってきた。
「クローシェ様もだけど、言ってくれたら良かったのに。スープなら別に嫌がらなかったと思うし……」
 背負ってみたらどんな感じなのか、という点については興味があった。だが、それを体験している姿は誰にも――例えルカであっても――見てもらいたくはなかった。理由は……ただ何となくとしか。
 そう、ただ何となく――誰かに見られようものなら、色々と不名誉だったり不可解だったり不愉快だったりする感想を述べられそうな予感がしていたから。
 だから俺は曖昧に笑って回答を避けておく。
 幸い、ルカはヒュムネクリスタルとなっていなくなってしまったスープに思いを巡らせ始めたようで、特に何も言ってはこなかった。
 その代わりに、笑顔だった表情が僅かに陰った――ような、気がした。
「スープがいなくなって、寂しかったか?」
「えっ、ぁ……うん。短い間だったけど、出会ってからはずっと一緒だったしね」
 そうして少し間を置いて――ルカは俯きがちだった顔を上げ、えへへ、といつもの笑みを浮かべてみせる。
「考えてみると、旅をしてる間って、クロアよりスープと一緒にいた時間の方が長かったかも」
「そうかもな」
 思い返せば、大陸になっていたルカが戻ってきた後、俺はルカとクローシェ様とはしばらく別行動を取っていた。
 ハイバネーションを止めるため――ココナを救うために奔走していたその裏で、ルカとクローシェ様はたった二人で神聖政府軍と渡り合っていたという。スープはその時もルカと行動を共にしていたはずだから、ルカの言うことはあながち間違いでもなさそうだ。
「クローシェ様、本当に残念がっていたな」
「うん。私も、スープがいなくなってすぐの頃は、人がいるところに来ると「かばん!」って言いそうになってたし」
「鞄?」
 聞き返して、そういえばルカが時々呟いていたな、と思い出す。
「スープと決めた合言葉だったんだよ。私が「かばん」って言ったら、スープは私の背中にくっついて鞄のフリをしようって」
 思い出し笑いのようなものに上書きされる形で、若干ではあるが、ルカの表情から陰りが消えた。
 そのことにほっとしつつ、目で続きを促してやる。
「ほら、クローシェ様の誕生祭の日、私だけ別室に通されて……その時、部屋までスープと一緒に歩いてく間、会う人全員にそれはなんだって聞かれて大変だったんだから。まあ、会ったのはみんな騎士さんだったんだけど」
「そんなに聞かれたのか?」
 まあ確かにあの存在を怪しむなという方が無理かもしれないが。
「えっとね、確か19人くらい」
「……わざわざ数えてたのか」
「宮殿を歩けば騎士にあたる、ってぐらい宮殿中に騎士の人が溢れてたもの。5人目を超えたあたりで、どうせなら何人に聞かれるか数えてみようって思って」
 やや話が誇張されている気がしないでもないが、確かにあの時は警備の人員も大幅に増員されていたと記憶している。……といっても、あの時の俺は緊張しまくっていたから、うろ覚えのレベルでしかないんだが。
「それで、部屋で待ってる間にね、さすがにこれはマズいよねって話になって。対策を考えたの」
 ルカはくすくすと思い出し笑いをする。
「最初はね、床とか天井とかに張り付くのはどう? って提案したんだけど、スープったら踏まれるとかこれじゃまるっきりモンスターだよー、とかダメ出ししてきて」
「それはさすがに俺でも攻撃するぞ」
「え、どうして?」
「スープみたいなのが床とか天井にいたらモンスター以外にないだろ。それに、ルカは言葉がわかっただろうけど、俺たちにはぷーぷーとしか聞こえないんだし」
「あ、そっか」
 不便だったよねそのへん、と呟いて、ルカは話を続けてくる。
「本当は私、鞄案はあんまり乗り気じゃなかったんだよね」
「へえ。他にも案があったのか?」
「うん、……」
「……」
「……」
 何故か不自然に話が途切れた。原因はもちろん、何も言わなくなってしまったルカにある。
「……ルカ?」
「えっ、な、なにかな」
「いや、何で黙るんだ?」
「べ、別に意味はないよっ?」
(……あるんだな)
「ないってば!」
「わかったわかった。それで?」
「わかってないーっ」
 やがて観念したのか、ルカはぽそぽそと上目遣いで窺ってくる。
「そのぅ……わ、笑わない?」
「笑わない」
 ルカは往生際悪くさらに逡巡したのち、ようやく話の続きを言った。
「……胸」
「胸?」
 おうむ返しにすると、こくりと頷かれる。
 そっと、あまりあからさまにならないようすぐ隣の胸に目をやる。うん、なんというかささやかでなだらかだ。
 しかしそんなことを確認し直したところでいまいち要領を得ない……というかピンと来ないし、イメージがわかない。胸?
「……つまり、背中じゃなくて前に抱えたってことか?」
「ううん。それじゃぬいぐるみと一緒だよぅ。……その、ね?」
 ルカは上着の胸元を摘んで持ち上げて、服と体の間を空けてみせる。
「ここに、入ってもらって……胸ー、って」
「……」
 ああ、なるほど。
 リュックにする前にサンドバッグにするべきだったかあの不思議軟体生物。
 様々な思考が一気に脳裏を駆け抜けていき――それらを努めて表情に出さないようにしつつ、目を伏せて小さく息を吐き出しながら、冷静にツッコミを返した。
「いや……不自然だろ、それは」
「ええー!? そんなことないってば、触った感じもそれっぽかったし」
 そういうことは魔大陸の時点で言っておいて欲しかった。いや言われたら言われたで今度は素直に寝れなくなりそうだからこれはこれでよかったのか。
「それに、それだと確かにスープは目立たない……というか、見えなくなったかもしれないけど、今度は逆にルカが目立つと思うんだが」
「え? どうして?」
 不自然だから、と言ってもわかってもらえないんだろうな。むしろまたおかしな方向に解釈しそうな予感がひしひしと。
「だから、スープがそこに入ったとして、……ちょっと、その、大きすぎないか?」
 ルカはええっ、としょんぼりしてから、しばらく考え――神妙な顔つきで呟いた。
「そっか、そうだよね。男の人は大きい胸が好きなんだから、逆に注目を集めちゃうよね」
 いや、そういうことでは……あるような、ないような。ともかくルカは、一番してもらいたくない方向に曲解してくれたらしい。
「いや、だからルカ」
「クロアも、大きい方がいいんだよねっ?」
 どう答えたらいいんだ。
 必死で言葉を選んでいると、その僅かな無言を「肯定」と解釈したらしいルカがしょんぼりとした笑みを浮かべ、ぱたぱたと手を振った。
「あ……い、いいよクロア、わかってるから! そんな気を遣ってくれなくても、うん、えへへ」
 ……全然わかってないだろうそれは。
「ルカ」
 少し声をきつめにして、名前を呼ぶ。
 びく、とルカがこちらを見た。
「その……俺は、大きいとか小さいとかで人を選んでるわけじゃない。それに」
 先を言おうかどうか迷って――言ってしまうことにした。
 論理の摩り替えであることは承知のうえで、けれど他に煙にまく方法が思い付かなかったから。
「……俺は、ルカのがどんなだか、まだ知らないし」
 とはいえ、さすがにルカを見つめたままは無理だった。
 気恥ずかしさ以前に、その、そういうストレートな欲望みたいなのを見せてもいいのかどうか、まだそのあたりの距離感を測っているのが現状だったというか、時期尚早というか――とにかく、俺はルカから目を逸らして、ぼそりと呟いた。
 それがまるで、拗ねるみたいな仕草だと気付いたのは言い終わってからのことだ。
「え、……っえ」
 ルカも俺の言葉に含まれているものを感じたらしい。
 え、あ、う、とか言葉にならない何かを発しながら、気まずそうにそっぽを向いて肩をすぼませてしまった。
(あー……)
 やっぱり早すぎた。ひどくそう思う。失敗したなと思う。
 さすがにここに来て嫌われることはないかとは思うんだが、しばらく避け気味になるのは確定かもしれない。
 何事も焦るべきではないなと脳裏に焼き付けながら、今はとりあえずこの気まずい空間をどうにかするのが先だと判断する。
 ごめんルカ、そう言おうと口を開きかけて、
「く、クロア」
 震える声に遮られた。
 声を発した方をゆっくりと見やる。
 すると、相手ものろのろと顔を上げたところだった。目が合った途端に物凄い早さで俯かれたが、だがそれだけだった。
 ルカはその場から動かない。逃げるつもりは、とりあえずはないらしい。
 下を向いたルカの耳が真っ赤になっているのをしばらく見つめていると、意を決したのか、ルカがゆっくりと顔を上げた。
「さ、……さわって、みる……?」
 きゅ、と胸の前で合わせた手が強く握り直されたのがわかった。
 何を、と無粋な返答はしない。
 勝手に干上がりつつある喉に強引に唾液を送り込み、小さく飲み下して――そんなことをしてるから妙に間を取った形になりつつ――脳裏に再生される記憶があった。
『お式終わったら、今度はホントに触っていいよっ!』
 そんなひどく楽しそうな声。
 目の前の当人は全く覚えていない――けれど、二人で確かに共有した時間。
 そう、正直な話、許可なんかもうとっくの昔にもらっているんだ、俺は。
「……いい、のか?」
 それでも確認してしまうのは、彼女がそれを覚えていないから。ダイブという行為の性質上、ダイブされる側はダイブ中の記憶を一切持ち得ない。
「う、うん……クロアにだったら、私……」
 震える声はどんどん声量を落としていき、もう意味ある言葉が聞き取れない。
 もごもごと重要な事を言い終えてから、さらに言い訳のように、彼女はまた声量を上げた。
「それに、それにね、そのぅ……何だか、そうしなきゃいけないような、気がしてて……」
 例え明確な記憶として残らなくとも、ダイブ中の出来事は確かに彼女の心の中で起きた出来事であり――それは彼女の心が動き、動かされた証拠と言ってもいい。
 そう、だからこうして彼女は、ダイブ中に俺へ告げた約束めいたものを気にしているのだ。
「……本当に?」
 こくり。
 ルカはとうとう言葉が出せなくなり、きゅっと目を瞑ったまま首を縦に振った。
「……ルカ」
 こちらも声が震えないよう――と思ったら普通に掠れながら――大事に大切に名前を呼ぶ。
 ルカは上着の結び目をほどいて肩から落とすと、軽くこちらを向くように位置を整えた。
「……っ」
 それからもう少しかかって、なかなか外されなかった胸元の手がゆっくりとシーツに滑り落ちた。
「い、いい、よ……?」
「……ルカ。じゃあ、触る」
「う、うん」
 そろそろと手を伸ばす。
 そこから先は――触ってもいいとは言われているが、そこからどうしていいと言われていない。
 聞かないままでいるのは卑怯だと思いつつ、聞いたところで取り止めになるのは目に見えている。だから、ただ無言のまま手を伸ばす。
 嫌だと拒絶されるまで、だからされないようにそっと、ゆっくりと触れていく。
「……っ……」
 ぺたり、と触れた瞬間、ルカが体を固くしたのがわかる。
 本当にただ、手のひらを触れさせただけ。上限を聞いていないから、これ以上どうにもできずに動きが止まる。
 努めて何も考えないように、それが顔に出ないように、いや決してルカが勘違いしそうな感想なんかは一つとして思ってなどいないのだがきっとルカは勘違いしてしょんぼりするに違いないのだ、だからとにかく無表情に徹することにする。
 いつからか身につけていた、かかる前髪と眼鏡の反射を利用した目の色を窺わせない手法を実施すべく首の位置を調整していると、
「あ、あのごめんねっ、その……小さく、て」
 何故かルカに謝られた。
 その声はどこかひきつっていて、どう返したらいいのかわからなくなる。
 とりあえず、伝えるべきことだけを端的に告げることにした。
「……謝ることじゃないだろ、それは」
「で、でもほら、クロアもつまんないだろうしっ……」
(つまらない?)
 ルカにはそう見えているということだろうか。
 この状況をどうにか長続きさせるべく必死で色々と戦っている自分が、好きな子の胸に触れているにも関わらずつまらないなどと。
 とりあえず今の状態を保持するのは得策ではない気がした。ので、もう一歩踏み込んでみることにする。
 軽く左手を挙げてみせて、まずは確認。
「……ルカ。こっちもいいか?」
「う、うん、いいけど……」
 ぺたり。
 そうして両手で触れてみたが、左右の大きさはさほど変わらないようだ。
 けれどどちらも柔らかくて、温かい。
 仮にこれがつまらなかったら、世の中は何をしてもつまらないことだらけになってしまうに違いなかった。
「ルカ。つまらないって、どうしてそう思うんだ?」
「だ、って……」
 ルカは軽く目を逸らして言い淀む。
 そしてぽつりとルカは呟いた。
「クロア何もしてない、し」
 その声にどこか非難めいた響きが混ざっていると感じたのは、俺の気のせいだろうか。
「……」
 これはつまり――ルカに嫌な思いをさせないようにと耐えていたつもりが、全くの逆効果でしかなかったのだと、そういうことでいいんだろうか。
 ぐに、と手のひらを押し込んでみた。
 思っていた以上に柔らかでかつ弾力性を伴った感触が、目の前の光景が嘘ではないと証明する。
「っぁ、……っ」
「ルカ。もっとちゃんと触ってもいいか」
「え……?」
 ルカは言われたことがわからなかったらしい。
 だから、もっと噛み砕いた言葉を、よく聞こえるように耳元で囁いてやる。
「直接触ってみないとわからない」
「ふえっ!?」
 悲鳴じみた声があがった。
 素早く耳から顔を離し、逃げられないよう、ルカの目を正面からしっかりと見つめた。
「え、ちょ、直接はダメ、絶対にダメっ」
「どうして?」
「だ、だって、み……見えちゃう、し」
 つまり、触るのはいいが見られるのはまだ恥ずかしい、とかそういうことなんだろうか。
(……なら、こうすればいい)
「え、ちょっ」
 するり、とインナーの端に指先を滑り込ませ、そのままインナーの中へと指を潜り込ませていく。
 これで、俺の目には直接ルカの胸は見えない。
 もぞり、先行した指先が、硬くなったそこに触れたか触れないかの瞬間、
「だ、ダメ――っ!!」
 物凄い力で突き飛ばされた。


 無様に床に転がったまま、開け放したドアからばたばたと走り去る足音を聞く。
 後悔先に立たず、とはまさにこのことだ。

 翌日、ルカのほうから自分でいいって言ったのにごめんなさいと謝られて事なきを得たものの、しばらくの間側に行くと身構えられてしまったのは――まあ、罰として大人しく受け入れておこう。







 なんていうか色々すいません。
 だがこれをED後にやったとしたらきっと突き飛ばしオチなんかじゃ済まないと思ったんだ(真顔)

(2008/11/09 up)

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