「んーっ、疲れたぁー……っあふ」
 大きく伸びをするついでに欠伸まですませ、拠点に戻ったばかりのリイタは涙の滲んだ目元をこすった。
「リイタ、足元ちゃんと見ろよ、危ないぞ」
 先ほどの行為をそこそこ急な階段を下りながらやってのけた彼女を注意したのは、後ろについてきていた彼女の相棒だ。
 入り口のある一階に荷物を下ろし、追いかけるように階段を下りた彼は、以前彼女が足を滑らせたときのことをまざまざと思い出していた。荷物で両手が塞がっていては抱き留めたり引き寄せたりすることができないのだ。
「ちょっとお、あのときは雨で濡れてて滑っただけ!」
 とん、と最後の段を抜かして地階の床へと着地すると、かかとを軸にくるりと反転する。びし、と指をつきつけ眉を吊り上げ気味に、リイタは彼の誤認を指摘しはじめた。
「だいたい、あたしが何年ここに住んでたと思ってるの? 目を瞑ってたって歩けるわよ」
「それはそうかもしれないけど、もしもってことがあるだろ。今日みたいにへとへとで帰ったときとか、膝が笑ったりうっかりバランス崩す場合だって」
「あーもううるさいうるさいっ。そんなことクレインみたいなぼんやり系の人に言われたくないわよっ」
「なんだよ、ぼんやり系って」
「そのまんまよ。ぼーっとしてて場に流されやすくて鈍感で――」
 そこでリイタは続けようとした言葉を不自然に切った。言わなくていいことまで話を広げそうになったのだ。
 リイタ?と呼び掛ける声にこほんとこれまた不自然な咳払いで応えると、
「と、とにかく、そんなクレインに言われるほどあたしはぼんやりしてないってこと!」
 言い切って残り180度を回転し、リイタはクレインに背を向けた。
 それが、「もうこの話題は終わり」という意志表示であると通じあう程には、二人は同じ時間を過ごしてきた。
 もちろん、共に過ごしてきたのは何も二人だけというわけではない。世界を救うべく戦ってきた仲間達もそうだった。
 彼らはそれぞれの道を歩き始め、この拠点を後にしている。
 数日後には二人もこの拠点を出て、新しい旅に出ようとしていた。今日はその準備や挨拶回りやらであちこちへ出向いていたのだ。
「……」
 クレインは何も言わず階段の途中にとどまっていた。
 階段直下にリイタがいるため、降りようにも降りられないせいもある。何より、忠告を無視しようとする彼女を放って階上に戻れるほど、彼は彼女と他人ではいられなかったのだ。
 背中に刺さり続ける視線からそれを感じ取ったのか、リイタはちらり、と階上を見上げてみる。
 そこにあったのは、彼女のやや身勝手な振る舞いに対しての怒りなどではなく、心配だというただそれだけの感情を表した顔。
「……そりゃあ、心配してくれるのは有難いっていうか、」
 嬉しいけど、と小声で付け足してみる。
 すると狙い通り相手は聞き取れなかったようで、ごめんリイタ聞こえなかったと慌てて階段を降りてきた。
(たまには期待を裏切ってくれてもいいと思うんだけど)
「なんでもない!」
 リイタは逃げるように寝室(といっても部屋としての区切りはないのだが)方面へと歩きだす。クレインが階段を降りきったときには、リイタは自分のベットに倒れこんでいた。
「リイタ」
「……んー」
 眠いので聞こえないふり。そこは正確に読み取ったクレインはシーツに突っ伏した彼女の横に座った。
 ある程度置かれた距離が、わきまえられた分別と、クレインの優しさと、そして奇妙なもどかしさをリイタに与える。
 うー、とかむー、とかくぐもった声で気が紛れるわけがないと改めて実感してから、ようやくリイタは顔を上げた。衣擦れの音に反応したクレインと目が合う。
「……なによ」
「べつに」
 いつもと立場が逆の会話を交わし、先に視線を逸らしたのはリイタの方だった。
 もぞもぞとだらしなく移動して反対側のベッドサイドに両足を下ろすと、自分の背中をクレインのそれに寄りかからせる。
 不必要にかけられるリイタの重みは、クレインにとって心地のいい柔らかさと落ち着かなくさせる熱を帯びていて、クレインは対応に困ったが、最終的に動かないという何よりも安全で無難な道に逃げこんだ。
 しばらくの間、互いにかけ合う体重だけが会話になった。
 リイタは時折背中を反らせるほどに、クレインは倒されないよう今の位置をキープする程度に、幾度も押し返し合った。
「……クレイン」
「なんだよ」
「重くない?」
「重いよ」
「ちょっと、それって失礼じゃないの?」
「体重をかけてるんだから重くて当然だろ。誰もリイタの体重が多いなんて言ってない」
 クレインにとっては論理的な、しかしリイタにとっては余計な一言でしかない言い分だった。リイタは無言で大きく背を反ってやる。
「やめろよリイタ」
 迷惑そうな声を聞いてリイタは少し気が晴れたのか、素直に体の位置を戻した。
「……どうしたんだよ」
「なにが?」
「今日。なんか変だぞ」
「べっつに。いつもと変わらないよ」
「まあ、昨日も今日もばたばたしてたしな」
 リイタでも疲れるのは無理ないか、クレインは自分に言い聞かせるように呟いた。
「あたしでも、って何よ」
「さしものリイタ様でもお疲れなわけだから、俺も疲れたなぁって」
 耳ざとくツッコミを入れると、しみじみ言い返された。
 リイタは触れ合う背中からちょっとだけ力を抜く。すると、欠伸が喉の奥までやってきた。
 確かに疲労感はあった。赤水晶がなかったときの、あの息苦しさとは違う――普通の、人間のような、感覚が。
「ねークレイン」
「ん?」
「いっしょに寝よっか」
 クレインがびしりと固まり、次の瞬間には予想以上の動揺が背中から伝わってくる。おかげで、リイタはこみ上げる笑いを必死で抑え込まなければならなかった。
「ば……バカ言うなっ」
「何でよ。クレインだって眠くなってきたでしょ?」
 見えない背中越しに意地悪くほくそ笑むリイタに、今ので眠気なんか一瞬で吹っ飛んだよ!などというクレインの心の叫びが聞こえるわけもない。
「お、俺はまだやることがあるから、一人で寝てろよ」
「ふーんそう。あたしには冷たいんだ、クレインてば」
 ――ノルンには優しいくせに。
 そう続けるとぎくり、と擬音が聞こえそうなくらい、クレインの肩が跳ね上がった。とうとうリイタは我慢できず少しだけ吹き出してしまったが、クレインからの反論はない。
 吹き出したことにすら気付かないとなると、これはよほど後ろ暗いってことなのかしらね――リイタの胸の奥がちり、と音をたてた。
「あ、あれはっ、一緒に寝たんじゃなくて眠るまで手を繋いでただけで、それにノルンは」
「わかってるわよ」
 リイタはもう隠すことなくからから笑いながら、あのとき聞いた一部始終をかいつまんで話してやる。ノルンの体を通して語りかけてきた、ゼルダリアの言葉。
「……盗み聞きなんて、性格悪いぞ」
「そんなつもりなかったわよ。誰かさんがびっくりした声で目が覚めちゃっただけ」
 ぐ、とクレインが言葉を詰まらせる。何だかまた先ほどの重苦しい雰囲気が尻尾を見せ始めた気がして、リイタは努めて明るく言った。
「えっと……その、そもそも、添い寝してもらわないと眠れないような年じゃなかったわよね、あたし」
 とはいえ、たまには甘えたくなるときだってある。年頃の男女とかいう枠は関係なしに。
(だって、あたしにはクレインしかいないし)
 彼の持つ雰囲気とか、いい意味でも悪い意味でも人の良い性格とか――何より、自分のためを思って頑張ってくれたこととか――、側に居るとそれはとても心地よいから。
(……これ以上困らせるのも、あれかな)
 背中越しに彼の鼓動が伝わってくる。
 それは今、ひどく不規則に不安定に脈打っていた。そうさせてしまったのは他ならない自分だ。
(ごめん、クレイン)
 心の中で謝って、すっと背中を離した。途端に彼の脈動が聞こえなくなる。
 それはひどく当たり前のことだったが――リイタは沸き起こった寂しさを無視するように、ベッドから勢いよく立ち上がった。
「さ、用事があるなら済ませてきなさいよ」
 まるで彼の心音につられるように安定感を失っていたリイタの心も、言い終えた頃には落ち着きを取り戻していた。笑顔でもって、ベッドに腰掛けたままのクレインを振り返る。
 しかし手のひらを返したようなリイタの行動についていけてないのか、クレインは首だけを後ろへ回し戸惑うように彼女を見上げるばかりだ。
「ほらどいてどいて。あたしが寝れないじゃない」
 リイタは腰を上げようとしないクレインを押し出すと、強引に立ち上がらせた。
 まだ複雑そうな表情を崩さないクレインは、少し迷ったあと、リイタを正面から見据え、口を開いた。
「寂しいんじゃ、ないのか?」
 だからどうしてこう、彼はワンテンポ遅いのだろう。それが悪いとは言わないが、物事にはタイミングというものがある。絶好のそれを逃してしまえば、どんな素晴らしいものであっても興ざめだ。
 リイタはため息になりかけた吐息を細く吐き出すと、仕方ないなあと折れてみせた――ちょっとだけ疲れたような笑顔で、聞き返す。
「そう見えるの?」
「見えない」
 即答されて、リイタの頭が瞬間的に真っ白になる。
 ああどうしようこいつ本気でタコ殴りにしてやってもいいかなあ。額に青筋が浮かびかけたところで、
「でも、そう見せてるだけかもしれない」
 クレインは真面目な顔で、そう続けてきた。
「俺そういうの鈍いし、普通の人なら気付くレベルなのかもしれないけど、……そういう風には見えないよう、演技してるかも、しれない」
 だから聞いてみることにしたんだ。クレインはそう結んだ。真っ直ぐ向けた瞳を逸らすことなく、リイタの回答を待つ。
「……あ、あたしは……」
 そんなこと言われても、とリイタは思う。
 寂しい寂しくないなんて、今更のレベルだ。これまでガルガゼットとして一人でやってきた。この拠点は元々リイタ一人で使っていて、はっきりいって広すぎた。けれどリイタは長いことその生活を続ける中で、そんなことはもう遠い昔に置いてきてしまっていた。
 だからもう、「寂しい」なんて、感じる次元じゃないはずなのに。
 それが覆ったのは、クレインが来てからだ。彼が来てからこの拠点はその広さに見合う人口密度となった。
 皆でぐったり帰ってきて休んで起きてわいわいごはんを食べてまた出て行く。帰って来れば誰もいないのだから灯りの一つもともっていない、温かさなんてこれっぽっちもないが、皆で帰って来ればすぐに温かさに満ちた。
 ここはとても心が安らぐ、温かな場所。
 今はもう、多くいた仲間とも別れ、クレインと自分の二人きりだ。
(……だから)
 多くの人の温もりが、たった一つになってしまった。
 そのことが、寂しいのだろうか、自分は。
 そんなことは――
「……わかんないよ」
 出ない結論に、リイタは思ったままを口にした。その顔は、クレインの視線から逃れるように自然と俯かれている。
「俺は」
 そこであえて言葉を切る。しかしリイタが顔を上げようとしないので、クレインは仕方なく続けた。
「今のリイタは寂しそうだって、そう見える」
「……だから側にいようかって? それって同情?」
「違う!」
 クレインは即座に否定した。それはリイタがびっくりするほどの剣幕で、言った自分も驚いたらしい。あ、ごめん、とぼそぼそ謝っている。
「ただ、俺じゃリイタの寂しい気持ちを和らげてやれないのが嫌なだけで、それと」
 そういうリイタを見ると、俺も寂しいし、嫌だ。
 リイタは何だか泣きたくなってきた。
 何だろう、なんでこいつ本当にこんなにバカなんだろう。
(そして、あたしも)
「バカね」
「なっ」
 泣きそうなのに、笑いもこみ上げてくる。愛しい、とはこのような気持ちを言うのだろうか。
「それってつまり、あたしじゃなくてクレインが寂しいってことじゃないの」
 的確な指摘に虚をつかれたクレインの、腕を掴んで引っ張った。
 がくん、とベッドの上に片膝をついた彼を、リイタは膝立ちの状態で首元にしがみつくように、ぎゅうと抱きしめる。
「……り、リイタ、ちょっ」
 うるさいだまれ。リイタは小さい抑揚のない声でぴしゃりと言いつける。クレインは大人しく口を閉ざした。
「あたしは、クレインの側にいるから。クレインが寂しくないように。だから――」
 クレインも、あたしの側にいてよね。
 彼の耳元でそっと囁くと、二拍ほど間を置いて、わかってる、と力強い返事を投げ返された。



***



「さて、と。じゃああたしはちょっと寝るわね」
「ああ」
 さすがに眠気がひどい。リイタは吸い込まれるようにシーツに沈んで、挨拶もそこそこに目を閉じる。
「おやすみ、リイタ」
「おやすみー……」
 とんとんと階段を登る音を確認してから、リイタはしっかり聞き取れる声で言ってやった。
「意気地なしくんは頑張って用事済ませてきてちょーだい」
「なっ」
 そのまましっかり目を閉じる。リイタおまえなあ!と怒ったような声は完全無視。だって今はこんなにも――温かくて、満たされていて――眠いのだから。
 近いうちに覚えてろよ、と口先だけっぽい呪い言葉を最後に、リイタはするりと心地よい眠りに落ちていった。







 世間様ではもうすぐGF発売ってときに今更ではありますがイリアト1をクリアしてみました。
 クレインがノルンに一緒に寝てくれ言われたとき、わーお過剰反応すぎるこいつ(プププ)とか思ったのがきっかけでこんなことになりました。いやクレイン大好きです愛すべき天然ばんざい。
 クレリイは中盤の「ふーん」「何だよ」「べっつにぃ〜」の繰り返しが非情にたまらんかったです萌え。

(2006/06/18 up)

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