目を開けると、外気に触れている頬が冷え込んだ空気を伝えてきた。
 部屋には窓が二つある。一つは東側の大きな窓。もう一つはこのベッドの上方にある小さな出窓。
 そのどちらからも朝日が入ってきており、自分は寒さと光とで目を覚ましたようだった。
 体を動かさないようにしながらゆっくり首を動かしてみる。窓の外がやけにまぶしい。それに、光の直射にしては全体が白めいている。
(……雪か)
 かつて、師とすごす中で何度も目にした一面の真白い光景が、彼にちいさな郷愁を産み出した。それを己の内側に留め置くように目を閉じる。
 師はもうこの世にはいない。
 居るとすれば、自分の心の中と、あともう一人――

 もぞり。

 胸元で何かが動く気配に、彼は思考を切り替えた。呼吸で胸板を動かさないよう息を止めるものの、「もぞもぞ」は動きを大きくし毛布を持ち上げる。
 結局、肺に酸素が届かなかったのは二十秒ほどだった。
「さむ……おはよう、カタナ」
「ああ」
 温かな毛布の中から顔を出して挨拶をしてきた少女は、自身の吐き出す息が目で見えることに驚いている。
「へやのなかなのにいきがしろいよ、カタナ」
「……外を見てみろ」
 そと?と可愛らしく首を傾げて少女は毛布から抜け出した。枕の上で爪先立ちをして出窓を覗き、歓声をあげる。
「すごーい、ゆき! わあ、まちぜんたいがまっしろ」
 昨夜全く降っていなかった雪は、たった一晩でこの街を埋め尽くした。それが少女の驚きを高めているのだろう。
 少女は寒さも忘れたのか、白く染まった街並みを眺め続ける。
 冷気が確実にその柔肌を侵しているだろうに、それでも動こうとしないのは、灰色の煙に覆われていない雪本来の白さに心を奪われているのかもしれない。
 自分にもそんな覚えがあるといえば……たぶん、ない。
「ラディゲのおじちゃん、どうしてるかな」
 ぽつりと少女は言った。
「おじちゃん、としよりにはさむさがこたえる、っていってた。いまは、あたたかいところにいるのかな」
「……」
「そうだといいね、カタナ」
 彼は無言のまま長い腕を伸ばすと、少女の細い腰を抱きこんだ。そのまま、ゆるく引き倒す。
「あっ」
 少女の手が窓枠から離れ、とすん、と枕に尻餅をつく。何するの?と大きな瞳が彼を見た。
「風邪をひく。中に入れ」
 言われてようやく突き刺すような寒さを実感したのか、少女は小動物のようにふるりと体を震わせた。すぐに持ち上げられた毛布の中へもぐりこむ。
 毛羽立つ毛布に苦戦しながら、彼の胸元に頭を乗せる感じで、ぴったりと寄り添う。元居た場所をキープし終えた少女が彼を見上げて微笑んだ。
 受け止めた視線は一瞬で逸らして、彼は軽く息を吐き出した。白くなった水蒸気が逃げるように消えていく。
「でもカタナ、おきなくていいの?」
「まだ早い。もう少し寝ていろ」
 そう言って彼が目を閉じたので、少女も目を閉じることにした。壁掛け時計の一つもない安宿の部屋に静寂が広がる。

 やがて少女の寝息が聞こえ始め――

「……」
 彼はそっと腕を動かした。
 少女のちいさな体を包むように、けれど起こさないように、軽く添える。


 少女の中でも、師は生き続けている。
 この広い世界の中、自分と少女というたった二人の中で、永遠に。

 ――ふと、師が笑ったような気がした。

 なァ〜に、感傷なんか浸ってやがんだ、お前ェはよぉ、ぁん?
 そんなに寂しいかァ、俺がここに居なくてよ。
 ……バカ弟子が、だったら会いに来たときにゃもっと気の利いた土産持って来いってんだ。


 幻聴で済ますにはひどく鮮明なその声に、彼は少しだけ腕に力を込めた。
 自分の中から聞こえてくるのか、少女の中から聞こえてくるのかわからないそれを、心に刻み付けるために。






 ……なんつーか、むしろカタラディ?(そんなつもりは)(カタカタ)
 ここはどこだとかいうツッコミはなしで。

(2004/06/13 up)

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