嫌な寝汗をびっしょりかいて、着替えるのすら億劫で、トイレのふりをして宿の外へ出る。
 しばらく人気のない街並みをぶらついて、腰掛けられそうな空の木箱を見つけた。散歩程度の距離しか歩いていないのに、座ってみるとぐったりと重力が増した気がした。
 夜風は乾いた汗とともに体温を奪っていったが、気にせずそこに居座った。
 今戻っても眠れそうにはなかったし、街と同じくのどかな気候のここなら、そうそう風邪をひくこともないだろう。

 繰り返し見る夢はいくつかパターンがあった。
 自分が殺したアクゼリュスの人々の怨嗟。道すがら倒してきた魔物に混じっていた、夜盗や兵士たち。
 彼らはときに、追い詰めた夢の終わりの際、一つの言葉を口にする。
 大合唱となるそれはやがて、たった一人の声に変質して、ゆっくりと、含みを持たせるように、言い聞かせるように言うのだった。

 ――愚かなレプリカルーク、と。


 知らず握っていたてのひらを開いてみた。
 月明かりに照らされたそれは青白く見えて、ほんの一瞬、全く別の色に染まる。
 驚きと怯えとでまばたきをすると消え失せるその色は、自分の髪とは似ても似つかない、けれど言葉で説明するなら間違いなく同じ、赤い色。
 ただ一つ、ひどく黒ずんでいるかそうでないかの違いしかない。
 己が名の表す「聖なる焔」とは対極の位置にある、人々から流れて凝った赤黒い――血液の色。
 これは一体何の皮肉なのか、と思う。まるであつらえたみたいにお似合いだ、とも。
 そうして、やっぱり師匠は正しいな、という的外れな思いへと帰結する。
 裏切られてもまだ師匠か、と言われたが、生まれてからこっち――この存在を「愚か」だと認定されるまで――自分の中核を占めていたのは間違いなく師匠であったのだ。
 それが正しいことであるか間違ったことであるかなど関係ないし、そもそも次元が違った。
 ある意味、師匠は自分の全てであったし、師匠をなくすということは自分をなくすようなものだったと、なくした今ならそう思える。
 室内がちょっと広いだけの、ひどくちっぽけな世界。
 その中でただ一つ、自分という存在を認めてくれていたそのひと。
 それが例え、目的のための捨て駒としての存在であったとしても、それでも、自分を一つの存在として認めてくれていた事実に変わりはないのだから。
 はは、と力なく、乾いた声が漏れる。

(だからって、師匠のすることを肯定するわけじゃない。……でも)

 七年もの間続いた、紛い物の信頼関係。
 自分からすれば、その事実は、否定しようがないほどに現実であったというだけの話。
 しかし周囲からすれば、そんな自分は、まだ師匠を信用したいと思っている、情けない、愚かな奴と映るのだろう。
 もちろん、それは違う。
 なくしてしまった、そしてそれはもう二度と取り戻せないと知った今なら、そうはっきりと言うことができる。
 師匠と自分はもう決別した。何せ、元々繋がってなどいなかったのだから。

(……そうか、そうだよな)

 いつだったか、一体何が「愚か」なのかと考えたことがあった。
 何も知らなかったことだろうか。
 知ろうともしなかったことだろうか。
 それとも。

(愚かなのは――この存在全て、ってことだよな)

 何故そんな、わかりきったことを考えたのか。
 自分は、そのわかりきった結論に至ってしまうのが怖くて、実は別なところに原因があるのではないかと、逃げ道を必死に探していたのだ。

(馬鹿だよなー、俺。ほんっと、だっせぇの……)

「……愚かな」

 上擦って掠れる声を振り絞るように、

「レプリカ、……」

 最後はうまく声にならなくて、唇だけで形作る。
 ルーク。
 七年間呼ばれ続けた自分の名前。
 被験体から何もかも奪い取ったうちの、たった一つ。

 ――愚かなレプリカルーク。

 それは紛れもなく、この世界にたった一人しかいない、自分のことだ。

 今更それは否定しないし、自分は愚かであり、レプリカなのだと認めて。
 認めたその上で、愚かな自分にできることは何か。
 たくさんたくさん考えて、考えて、考えて。

 そうして見つけた答えは、実はかなり当初に、ひどく容易に思い至っていたことだった。
 話せば誰もが馬鹿なことを言うなと否定した。もちろん、今言い出したって同じだろう。
(……でも)
 愚かな自分には何度考えても、これ以外に思いつかない。
 亡くなった被験体の代わりならばともかく、まだ存命で、本当に自分はあれのレプリカなのかと疑うほど――いや違う、レプリカだから劣化しているんだった――完璧な存在たる被験体をさしおいて、どうして。
(怒ってたもんな、あいつ。居場所を奪われた、って)
 もし自分が逆の立場だったら。
(俺、もっとひでーこと言ったよな。たぶん)
 でも、もしかしたら違うかもしれない――そう思うのは、今の自分がレプリカだから、レプリカの立場や気持ちがわかるだけの話だろう。
 もし自分が被験体であったのなら、それこそ出会い頭にさっさと死ねと剣を突きつけていてもおかしくはない。

(……そりゃあ、怖い、けど)

 けれど、全ては事実で現実なのだった。

 何も知らない自分が、師匠を支えに生きてきたことも。
 何も知らない自分が、被験体の居場所を奪い続けてきたことも。
 何も知らない、何もわからない、考えても結局一つの結論しか導き出せない自分が、どうしようもなく愚かだということも。

(怖くったって、やるしかない、よな)

 だって他に、どうしたら許してもらえるのか、思いつきそうになかったから。


 力の入らない拳を固め、小さく決意する。
 とりあえず、その時が来るまでは誰にも言わないようにしよう。
 言えばきっと、確実に止められるのだろうから。

 止めようとする人たちを脳裏に幻視して、鈍く決心が揺らぐ。
 ゆるく頭を振ってそれらを打ち消した。


「……ごめんな。ほんとうに、ごめん」


 それは、一体何に、誰に対する謝罪であったのか。
 声を震わせた当人にもわからぬまま、その呟きは誰に聞かれることもなく、ただ深く闇に沈んでいった。






 真のツンデレことアッシュはどこか八つ当たり的に他にぶつけようのない怒りをるくたんにぶつけていて、しかしそれは自分のレプリカだからこそできる芸当であって普段は他人のせいではなく全て自分のせいだからと己に言い聞かせて日々精進を重ねていくアホみたいなストイックなひとなんじゃないかとか思ったりしてみたわけなのですが(既にこの時点で夢見がちだというツッコミは抜きで
 それを第三者的神視点なプレイヤーから見た場合に、そんな真のツンデレから、それなりに理不尽ぽい怒りをミュウが投擲されるがごとく全力投球で叩き込まれているるくたんは如何様に受け止めて昇華させているのでありましょうなぁ、とかぐるぐる考えたのがこんな惨憺たる結果を招くとは、

 こんなことになるなんて知らなかった! 誰も教えてくんなかっただろっ!
 俺は悪くねぇっ! 俺は悪(以下略)


 ……すいません私が悪かったとです……。

 こういう薄っ暗い話は世間に溢れているだろうし、何よりアビスは鬼すごい萌えのひとたちがたくさんいらっしゃるので、今回はそちらで腹いっぱいになろうと思っていたのになぁ。むーん?

(2006/02/12 up)(※日記より移動)

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