「じゃあな遠坂。ちゃんと休めよ」
「ええ。じゃあね士郎、また明日」

 玄関まで送るつもりがいつの間にか門の前にまで来ていて、少々血を抜きすぎたわたしを心配しながら帰っていく士郎を見送った。
 数ヵ月後には異国の地、それも魔術の総本山たる時計塔に行くことを決めてから、かなりのスパルタで彼をしごいている。筋がないのはわかっているから、容赦なんかしない。
「これでもギリギリのレベルよね……まあ、頑張ってくれてるけど」
 ふ、と自然に口元が緩む。
 彼が頑張っているのは自分のためでもあり、そしてわたしのためでもある。
 ――先ほど。
 本当に限界だったろうに、まだまだと食い下がってきたのをやんわりと止めて軽くお小言を述べた後、わたしは意地悪く聞いてやった。

「ねえ士郎。何でそんなに必死なの?」

 まだ倫敦行きまで半年はあるわよ?と自分でもかなり上等な笑顔を作って床に座り込んだままの士郎に近づき、かなりの近距離で顔を覗きこむ。
 予想通り士郎は顔面を瞬時に茹蛸に変えて、がたたん、と壁まで後じさった。当然のごとくさらに近づいて、追い詰める。

「士郎、どうして?」
「っ……!」

 士郎はこれでもかってくらい顔を赤くしたまま、言葉にならない言葉をぱくぱくと紡いでいる。その視線はわたしだけを見つめて動かない。
 逸らさせないように、顔の両側にわたしが両手をついていたからだけど。

「と、遠坂っ、ち、ちかっ……」
「ちか? 地下が何? 衛宮君、述語や目的語も入れてくれないとわからないわ」

 こういう士郎を見るのは既に、わたしの日常茶飯事と化している。
 だというのに、いつまでたっても士郎の反応は正直というか、変わらない。もう少し馴れてくれてもいいのにと思うけど、この愛すべき動揺ぶりが見れないとなるとやはりつまらない。だから当面はこのままでいい。

 とはいえ。

 この状態を数分も続けているとさすがに、こちらも恥ずかしくなってくる。
 思考が冷静になってくるというか――士郎の視線がだんだんと受け止めきれなくなってくる。それにつれて、向こうもだんだんと冷静になってくるのだからやりにくい。顔は赤いままだけれど、向けられる目の力強さが違う。
 ふと士郎の瞳に自分の姿が映っていることに気付いて、こちらの心が落ち着かなくなる。――ああ、何をこんなことで慌てることがあるの遠坂凛!
 そう、自分を叱咤した瞬間。狙ったかのように士郎が口を開いた。本人にはきっとそんな余裕はないのだろうけれど、でもそのタイミングは秀逸だった。

「遠坂」
「な、なに、よ」
「俺は、遠坂といっしょに行きたいし、ずっといっしょに居たいと思うから頑張ってる。それだけだよ」
「――っっ!!」

 だからどうして、いつも真顔で断言してくるのかと。

 そう詰問してやりたかったけど動揺が外に出るのを抑えるので精一杯で、
「わ、わかってるならいいわ」
 なんて、どもりながら密着させていた身体を離した。


 士郎の意志なんてわかってる。わかってたけど確認しておいて損はない。長く続けるうちいつの間にか目的が摩り替わって本末転倒、なんてよくある話だ。
 だから軽くからかいついでに、釘刺しのつもりで聞いただけなのに、何でわたしが恥ずかしい思いをしなくちゃならないのか――嬉しいけど。ものすごく。





「……思い出しちゃったじゃないの。くそ」

 ぱんぱん、と熱くなった頬を叩きながら屋内に戻る。
 何となくただいまと呟いて玄関をくぐり、居間へ足を踏み入れる。しんと静まりかえったそこは、当たり前だけれど誰もいない。
「……」
 それが寂しいとかいう感情は既に持ち合わせていない。ここに居るのがわたしだけ、それだけのことだ。
「紅茶でも飲も」
 つと呟いて、キッチンに入る。
 独り言は珍しいことではないし、口に出した方が考えがまとまりやすい時もある。だからどうということはない。感情の動きがあっての行動じゃない。
 お気に入りのカップと茶葉を取り出し、水を入れたケトルをコンロにかける。すぐに沸くので居間には戻らない。お茶請けはあったっけ、と棚を確認して、さっき士郎と片付けたことを思い出す。
 そうこうしているうちに、ピー、と蒸気の音がわたしを呼んだ。
 ケトルのお湯を空のティーポットに注いで、ポット自体を温める。しばらくしてお湯を捨ててから、茶葉をセットして改めてお湯を注ぐ。そして、蒸らす。
 茶葉の量のさじかげんも難しいが、こうして蒸らすタイミングも重要だし、茶器の温度も一定の状態に保たなければならない。
 これは、高級茶葉の美味しさを余すとこなく引き出す高等技術。

「……」

 こうして一人で紅茶を淹れるのは、昔から続く遠坂凛の日常茶飯事だ。
 けれど今は。

 ずっとずっと一人きり、でなくなった今は。


 ――それを難なくこなしていたアイツを、嫌でも思い出してしまう。


 それは寂しいとか、気持ちとして辛い苦しいの類じゃない。
 あえていうなら郷愁とか、思慕といったものに近い。
 だってあれは二日目にして既にわたしの日常に溶け込んでいたから。当たり前のように飲み干した味は、まだちゃんと思い出せる。とんでもなく美味しかったから。

 ぐるぐると何かが頭を回りだす。
 近いようで遠い思い出。たった半年前の、たった二週間ばかりの出来事。

 それはいつも、赤からはじまって、赤で終わる。

 わたしを呼ぶ「凛」という澄んだ声とか。
 いけしゃあしゃあと自分の力量を誇示してくる鷹揚な様とか。
 好ましい情景も思い出したくない感情も全て、わたしは鮮明に覚えていて。

 もう大丈夫だと告げてくる、何も言えなくなってしまったどうしようもない笑顔が、最後。
 それはまごうことなき、赤い騎士との訣別だった。


 ぐるぐると回り終えて――気がつくと、胸のペンダントを握り締めている。
 いつかわたしが残したものを取っておいて、時も空間も経て返してもらったもの。ずっとずっとアイツが持っていてくれたもの。

「……」

 自分の身体機構くらい制御できなくては、魔術師ではない。
 だからわたしは何事もなかったかのように、にっと笑って、誰も居ない台所で呟いた。

「……ええ、わかってる。わたしはもう絶対に貴方に会わない」

 だってアイツは言ったのだ。
 奴を任せると。
 任されたからには、アイツが舌を巻くくらい、とんでもなく幸せに仕立てあげてやらなくちゃならない。何より、わたしの気が済まない。
 そしてそれはきっと、わたしの幸せにも繋がるだろうから、無駄ではない。
 士郎の幸せ追求に過剰な心血を注ぐことは、決して心の贅肉なんかじゃないのだ。

 親愛なるアイツに似た者を、誕生させるようなことはさせない。
 だから、もう二度と会わない。絶対に。

 それがわたしのできること。
 それがわたしにできること。

 それがわたしができる、もう二度と伝えられない、アイツへの気持ちのぶつけ方。





「さて、と。これ飲んだら休まないとね。明日も頑張らないとだし」

 そうしてわたしは、居間に紅茶を運びこんだ。
 今日こそは――舌を巻かす手始めに――アイツ以上の味が出せたと信じて。






 弓凛好きです。とても好きです悶えます。
 でも自分がやろうとすると士郎凛前提の弓凛になってしまうんだ何でだー……(ヘタレだから)
 時間制限カプ属性(何それ)ですいません。

(2004/06/13 up)

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