幸せの在処(サンプル)
袖をまくった手にはスポンジ。
もう片手にはクリームやら何やらが付着した皿。
しゃがんだその目の前には水の張った木製のバケツ。
「適当に洗うんじゃダメだよ。借りたんだからちゃんと綺麗にして返さなきゃ」
「借りたんじゃなくて、金を払って料理を作ってもらっただけだろ。皿なしでどうやって料理を持ってくるんだよ」
「……つまり、お皿は料金内だって言いたいの? マキシミン」
「そうだよ。だいたい、こういうのは洗って返したってどうせ店でまた洗うに決まってる」
まあ、これがブルーホエールだったらそのままかもしれないが、マグノリアワインはそのへん気を遣ってそうだからな。
だからこんなのは時間と労力の無駄だ。
そう言い切りながらも、俺は皿を洗う手を止めたりはしなかった。
ちらりと横を窺うと、洗い終えた皿を受け取り水気を拭く役に回ったイスピンが、いつもの唇を尖らせた不満そうな顔で、何も言わず手のひらを差し出している。
早く洗い終えた皿を寄越せ、ということらしい。
別に、めんどくさいとかくだらないとか適当な理由をつけてこの場を立ち去ることはわけなかった。
そして、こいつはそんな俺を無理に止めようとはしないだろう。
ちょっと探せば他で片づけをしているであろうあのお坊ちゃんと剣士、子供っぽい魔導師とおばさんが見つけられるだろうから、奴らに助力を請えばいいだけのことだ。
奴らと一緒に行動するようになってから、いつの間にやら慣習化してしまった誕生会。今日はレイの番だった。
そこそこに盛り上がった会が片付けの段になり、気付けばそれぞれのパートナーと組んで分業にあたることになった。
それは偶々、ひどく自然にそうなった流れであって、誰かの意思とか思惑が介在したものじゃない。
だから、俺が大人しくこいつの言うことに従って二人で後片付け(主に皿)なんぞをしているのは、別に何か理由があってのことじゃないんだ。
まあ、それでもあえて理由を付けるんなら、面倒くさかったから、ってところだろうか。
何が面倒くさいって、いちいちこいつに反発することが、だ。
こいつと言い合いすると妙に体力を使うからな。
そう、せっかくたらふく食って摂取したエネルギーをそんな無駄なことに使うこともあるまい。
それに、何でか知らんがさっきから妙にご機嫌だしな、こいつは。
ここまで機嫌のいい奴にわざわざ喧嘩ふっかけるほど、俺も虫の居所が悪いわけじゃないし。
そう、何たって久々に腹一杯飲み食いしたからな。
「ほらマキシミン、このへんまだベタベタするじゃないか。洗い直して」
「……」
だから店でもう一回洗うんだからそんなの気にしなくていいんだよ。
喉元まで出かかった言葉を驚異的な精神力で飲み込んでから、俺はイスピンの差し出す皿を手に取りバケツの中へと戻した。
くそ。人がちょっと大人しくしてやってたらすぐこれだ。
わざわざ「お誕生会ごっこ」に付き合ってやっただけでも感謝して欲しいくらいだってのに、調子に乗りやがって。
……とまあこんな感じで、マキピンと見せかけてマキシが一人でぐだぐだ言ってるばかりの話です。