急遽入った警護任務のため、途中合流するべく指定された建物に入ると、主はまだ到着していないとのことだった。
 入り口で待機すべきか迷っていると、こちらへ、と女官が室内での待機を促してくる。ありがとうございます、と素直に従い、スザクは女官の後に続いた。
「こちらでお待ち下さい」
 案内を終えた女官は、スザクと目を合わせることも頭を下げることもないまま、ドアを閉めて立ち去った。
 彼の役職を考えるならば、その態度は礼を欠いたといっても過言ではなかった。だがスザクはそのことにさしたる感情も抱かず、むしろあからさまに睨まれたり、すれ違いざまに悪意ある言葉を囁かれないだけまともだな、と乾いた感想を浮かべた。
 ただ――こうした事実を知ればきっと、彼女は悲しみに似た何かを覚えるのだろう。そのことだけがスザクの顔を曇らせた。
 小さく嘆息して、部屋を見渡してみる。
 中央にガラスのテーブル。それを挟むように嫌味すぎない程度の光沢をもった革張りのソファが置かれている。壁のディスプレイは通信用ではなく、単にTV放送を受信するものだろう。他に目立つのは窓際の観葉植物くらい。
 そんな応接室といった風合いの室内に、ただ一つ異質なものが混ざっていた。テーブルの上に何か、本のようなものがいくつも並べてある。
 よく見ればソファの横にマガジンラックが置いてあった。しかし中身は空である。
 ラックの中身が全てテーブルの上に並べてあるのかと思ったが――近づいて一目見ただけで、そうではないとわかった。
「……これは」
 嫌でも目を引く、どぎつい配色の書き文字と写真。
 そこにあったのはどれもゴシップ誌だった。それも最近発行されたものばかりである。
 どの表紙にも、彼の主が映っていた。
 並ぶ雑誌のうち、スザクは見覚えのない一冊を手に取った。この中の何冊かは読んだことがあったのだ。
 学園のロッカールームにあった、誰かの忘れ物を拝借してざっと読み、丸めて捨てそうになる衝動を抑えたのは記憶に新しい。
 それから、あまり人目につかない時間帯に本屋へ出向き、申し訳なく思いながら――さすがに自分で買うのは躊躇われたのだ――数冊を立ち読みした。
 どの誌面においても、内容に大した違いはなかった。第三皇女の騎士任命についての特集が組まれ、写真と共に解説や識者の見解・対談等が記されている。
 争点は「イレヴンを騎士に選んだ第三皇女の真意はどこにあるのか」というただ一つ。
 大半は明言を避けお茶を濁してはいたが、中には皇女の判断を真っ向から否定する過激な誌面も見受けられた。
(身の程知らずが、……といったところかな)
 ブリタニア帝国第三皇女ユーフェミア・リ・ブリタニア自ら選んだ騎士とはいえ、スザクの出自に反感を示す者は少なくない。
 さすがに皇女当人の前ではそのような素振りは見せないが、彼が主の元を離れたところで大いに表面化していた。
 スザクはそういった批判や差別は軍属になった頃から幾度となく経験していたため、特に気にはしていなかった。これは異例中の異例であると認識していたこともあり、むしろ当然のことだろうとありのままを受け止めていた。
 しかし、彼の主はそうではない。
 彼女は、そうした彼に対する理不尽な差別を減らすべく、彼を騎士に任命したのである。もちろんそれだけが理由ではなかったが――それでも、彼女はそう願い、彼を自らの騎士とした。
 だが結果として、彼女の願いは叶わなかった。スザクに対する理不尽な意志は消え去るどころか、逆に増加傾向にあったからだ。
 これまでに、スザクが主から謝罪の言葉を受けたのは一度きりではない。
 それはスザクを大いに申し訳ない心地にさせた。
 謝る必要のないことに罪の意識を感じ、悲しむ主。元を辿れば、直接的ではないにしろスザク当人に原因があるようなものだ。そしてスザク自身がどう頑張ろうと、その原因を無くすことは不可能に近い。
 このような自分を選んでくれたことへの感謝の気持ち。
 対し、それが彼女を悲しませることに繋がっている現実に、己の無力感が膨れあがる。
 結局自分は彼女に迷惑をかけてしまうだけなのかと迷い始めると――必ず、彼女の声がスザクの脳裏に響いた。
 自分を嫌わないで、と。
(……僕は、君に助けられてばかりで)
 生きていて、と。
(君を助けたい。僕を助けてくれた君を)
 だからスザクは彼女を守ろうと誓った。彼女を、彼女を悲しませる全てから守ろうと。
 そしてその要因が己にあるならば、周囲に「騎士としてふさわしくない」と思わせないよう行動で示せばいい。少なくとも今は、そうするほかない。
 スザクは手の中の雑誌を閉じた。
(ユフィがこれを読んだらどう思うのか、わからないはずじゃないだろうに……いや、わかっているからこそ、なのか)
 この雑誌をこのままにしておけば、やがて到着する彼女の目に嫌でも入る。そうなればまた彼女を悲しませてしまう。
 つまり――この雑誌が皇女の目に入ったとすれば、騎士として主の「心」を守れなかった、ということ。そんな気遣いもできない者に騎士の資格などない。
 彼女を守る騎士であるならば、この現実をしっかりと理解した上で、彼女が来る前にこれを片付けるなり処分するなりしてみせろと、そういうことなのだろう。
(言われなくてもそうするさ)
 学園のロッカールームで最初の一冊を見た時から、国中からこの雑誌を無くすにはどうすればよいかと本気で思考しそうになったほどだ。
 彼女も皇族として育ってきた人間である。こうしたゴシップ誌の存在を知らないわけではないだろう。
 だが、ここまであからさまに否定的な代物は、彼女の人生の中でも初めてのはずだ。
(何としても見せないようにしないと)
 スザクは全ての雑誌を集めると、改めて室内を見渡した。一冊や二冊なら観葉植物の鉢の影にでも隠せなくはないだろうが、さすがに五冊以上は無理がある。
 ソファの下に隠すことも考えたが、ドアの近くから見ると明らかに何かが置いてあるのがわかってしまう。彼女は変なところで鋭く、悪く言えば目聡いので、これは危険すぎる、と却下した。
 しばらく考えた後に、裏表紙を前にしてマガジンラックに置くことにした。その上で、ラックをさり気なくソファの影になるよう移動させる。
 こうしておけば、ソファの後ろ側へ回り込まない限りはあの目立つ表紙を見られることもないし、彼女が気に留める可能性も低くなるだろう。
「……こんなもんかな」
 下手にソファの真後ろなどに配置してしまうと、先述の理由で彼女が興味を持ってしまう可能性がある。あくまでさり気なさを持たせねばならない。
 見ているうちにやはりわざとらしすぎるか、と位置を変える。しかしそれも微妙だな、と思えてくる。
 気になり出すと止まらないもので、スザクはこうだろうか、いやこうした方が、とラックの位置の微調整に没頭した。
 おかげで、ノックの音に反応するのが遅れてしまった。
「は、はい! どうぞ!」
 扉が開くのとほぼ同時に部屋の中央まで戻ると、スーツに身を固めた彼の主が入ってきた。ドアの外へありがとう、と告げ、静かに扉が閉まる。
「こんばんは、スザク。遅くなっちゃってごめんなさい」
「いえ、僕もさっき着いたようなものですから。――では、行きましょうか」
 エスコートするべくドアに歩み寄るスザクを、待って、と静止の声が飛んだ。
 できれば早くこの部屋を出て行きたいところだったのだが――そんなことはおくびにも出さず、どうかしましたか、とスザクは足を止めた。
「送迎用の車が渋滞で遅れているみたいなの。だから、あと十五分ぐらいはここで待機です」
「そうなんですか……」
 おそらくは、急な予定だったため防弾等が整った車両の準備が間に合わなかったのだろう。それならば仕方がない。
「では、立っているのも何ですから、座りましょう」
 彼女をラックを隠した方のソファにすすめることに成功し、スザクは心中でほっと一息ついた。
 対面に腰を落ち着けると、学校はどう?と彼女の方から話を振ってきた。
 あとはこのまま十五分、たわいのない――けれど何よりも心地良い――会話を続けて、さっさとこの部屋を出るだけだ。彼女の声を聞きながら、安心したことも手伝って、スザクは自然な笑みを浮かべることができた。
「そういえば、明日は晴れるのかしら」
「あ……どうだったかな」
 予報を確認しようとしたスザクを止めると、彼女はソファから立ち上がった。窓辺へ歩み寄り、日の落ちた空を見上げる。
「……あ、月が出てる。星はあまり見えないけれど……この分なら晴れるんじゃないかしら」
「本当だ。……うん、ひとまず雨はなさそうかな」
 隣に立ち、同じように防弾ガラス越しに空を見上げる。彼女の言うとおり、幾分欠けた月といくつかの星が確認できた。
 よかった、と顔をほころばせる主に、スザクも笑顔を向ける。本当にあたたかな人だと、じわりと熱を帯びた心に気付いてそう思う。
 そして、その熱に浮かされたせいかどうか、スザクは気を緩めてしまっていた。
 ソファに戻ろうとした彼女が、さりげなく隠したはずのラックに目を留め――スザクが気付いた時にはそのうちの一冊に手を伸ばすところだった。即座に駆け寄るが間に合わない。だが決して見られるわけにはいかない。
「……あ、あの……スザク?」
 咄嗟に、後ろから抱きつくような形で彼女の手首を掴む。
 彼女の動きを止めることに成功した後で、スザクはようやく自分の体勢に気が付いた。
「あ、いやその、す、すみません! ……でも、それは見ないでもらえますか」
 謝罪を述べつつも、スザクは手を離そうとしなかった。それどころか、握る手に僅かに力を込める。
「……何が書いてあるのかぐらい、私にも想像はついています」
「だったら」
「私の想像が本当かどうか確かめる必要があるわ。離して、スザク」
「嫌です」
 彼女が首を振り向かせる。すぐ真後ろのスザクの顔を咎めるように睨んだ。
 やはりスザクは怯むことなく、表情一つ変えずに言い放つ。
「それを見たあなたがどう思うか、僕にも想像がつきます」
「……それでも、私は見て、知らなくてはならない。見たくないものに蓋をしたままじゃ、私の言葉は誰にも届かない」
 離して、ときっぱりと告げてくる声と瞳に、スザクは大人しく従うほかなかった。
 自由になった彼女は、迷わず雑誌を手に取り、しっかりと目を通していく。その表情は険しかったが、目を逸らすことなく、ただ淡々と事実を受け止める姿勢を貫いていた。
 大半に目を通し終えて、彼女は雑誌を元に戻した。
「スザク。あなたには、迷惑をかけてばかりですね」
 向き直ったその表情には、半ば強引に浮かべられた笑みが張り付いている。悲しいのか、苦しいのか、辛いのか――その全てだろうと、スザクは思った。
「それは僕の台詞です。僕のせいで君が、こんな……」
「いいえスザク。これは、あなたの立場を理解しながら、それでもあなたを選んだ私の責任です」
「ユーフェミア様」
 様付けでファーストネームを呼ばれた彼女は眉をひそめた。二人だけのときはユフィって呼ぶ約束だったはずです、と不服そうに呟く。
 スザクが言い直さないでいると、ゆっくり――本当にゆっくりと、彼女の表情が崩れていく。
「どうして……、どうしてあなたが悪いことがあるんです」
 ぽつりと呟かれた言葉は、次第に熱を帯びていき、彼女の本音そのままを形作っていく。
「あなたは私を助けてくれた。お姉様も助けてくれた。あなたはブリタニアのために身体を張ってくれているのに――どうして責められないといけないんです」
 一気にそうまくしたてた彼女は、昂ぶる感情にまかせ表情が保てなくなったことに気が付いたらしい。軽く唇を噛んで俯いた。
 それでもなお、目線を下に向けたまま、言い足りないとばかりに呟く。
「理不尽じゃないですか、そんなの」
 僅かに震える声を、どうしたら元に戻してあげられるか――半ば呆気にとられていたスザクは、そんなことを考えていた。
 彼女が嘆いていることは、自分一人ではどうにもならないことだ。スザクはそれを嫌と言うほど理解していた。
 そしてそれが、たとえブリタニアの第三皇女という身分をもってしても、やはりどうにもならない事柄であることを、同じく彼女自身も理解している。
 彼女は聡明な人で、何よりどこまでも優しい人だった。
 だから――わかっていながら、彼女は吐露したのだ。口にしても何も変わらず、ただ現実を再認するだけでしかないとわかっていても、それでも。
(……君って人は)
 スザクは昔から、そういった「どうにもならない」ものを変えたいと思っていた。
 方法はさっぱりわからないどころか、本当にそんなことが実現できるのかどうか、その可能性すら見当もついていなかった。
 だが、それでもいつか、変えてみせると心に決めていた。
(そして君が、こんな僕を生かしてくれた)
 彼女となら、もしかしたら――何かを変えられるのではないか。
 畏れ多いことだと理解しながら、スザクは希望を持つことを止められなかった。
(君となら、僕は何だってできそうな気がする。いや、きっとできる。……君となら)
「ユフィ」
 名前は自然に出てきた。緊張しているのか、声がやや強張ってしまった。
 顔を上げた彼女の瞳をしっかりと見つめ返して、スザクは思ったままを口にした。
「僕はあなたが、……君が好きだ」
「……スザク」
 彼女は目を丸くしたが、スザクの真剣な表情に自身の表情を引き締める。
「さっき君は、僕が君を助けたと言った。なら僕は、君に助けられた。あのときも、そして今だって」
 スザクは知らず拳を握りしめた。
 自分のことで彼女に辛い思いをさせてしまった、ただそれだけがひどく悔しい。
「実際、迷惑をかけるのは僕の方だ。でも君はそれでも僕を選んでくれた。僕を、……好きになるって、言ってくれた。だから――っていや、だからってわけじゃないんだけど」
 途中で言い直しながら視線をうろうろさせつつ、最後に再び視線を合わせて、スザクは心に浮かぶそのままを言葉にした。
「僕は君が好きだ。たとえ君が僕を好きでなかったとしても、僕は君に惹かれてた」
 言い終えて、スザクの顔には照れまじりの笑みが浮かぶ。
「でも、好きだって言えるのは君のおかげで……うん、だから、……ありがとう、ユフィ」
「スザク」
 彼女の両目は潤んでいて、今にも涙をこぼしそうだった。
 と、そのことに気付いたのか、少し慌てたようにうろたえた後――ユフィはきちんと笑ってみせた。その笑顔だけで、全てが伝わってくる。
 ――できうる限り、自分の気持ちを伝えておくべきだ。
 まるで彼女のように突然に、スザクはそう思った。その衝動のまま、再び口を開く。
「ユフィ、約束するよ。僕は君を守る。君と、君の信念と、君が進むべき道を」
 それは騎士として――彼女の隣に付き従う人間としての決意を述べたつもりだったのだが、何故か彼女は不満そうな目を向けてきた。
「スザクは私を一人で進ませるつもりなの?」
「え」
「私を手伝ってくれるんでしょう? なら、道は二人で進むんです。私だけじゃなくて」
「あ……」
 そんなことは考えもしなかった。
 彼女はいつだって、自分の知らないことに気付かせてくれる。世界も、何もかもを、全く別の――希望ある何かだと認識させてくれる。
「はい。では、……君と僕と、二人が進む道を守ります」
 これでいいでしょうか、と目で聞くスザクに、
「ええ」
 彼女は満面の笑みをもって頷いた。







 スザクから好きだと言わせるだけでこんなにもくどい話になるとは思いませんでした。すいません。
 というか大変今更すぎる話で本当すいません。

 ぶっちゃけ未だに#21以降のスザユフィを想像するのが厳しいです……(しょんぼり)

(2007/07/29 up)

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