昼食の後、木製のカップに注いだお茶を持ち、木陰で考えをまとめようとしていたリタの目に留まったものがあった。
「……はあ」
 座り込んでため息をつく一人の少女。
 その桃色の髪は草原や陽光の下では明るく映えるものだし、実際彼女はそういった振る舞いを常としているから、肩を落としてしょげられてしまうとどうにも違和感が拭えない。
 明るくない彼女なんて彼女らしくない。彼女にはもっと笑っていてもらいたい。
 少し前のリタであれば、そう考える自分にこそ違和感を感じて盛大に頭を振っていただろう。
 だが現在のリタはというと、日だまりでしょんぼりとされている少女から目が離せずにいて、おまけに木陰を目指していた両足は地面に縫いつけられたように持ち上がらない。
(何かあったのかしら……ま、まあ回復役が元気ないなんて医者の不養生みたいなものだし、……だ、だいたい、あんな表情見させられて声をかけずに通り過ぎろって方が無理よね、無理!)
 大急ぎで自分に言い訳を済ませると、リタは「自分はそれほど心配ではない」という風を装うべく、努めて明るく声をかけた。微妙に上擦っているのはご愛敬だ。
「どっ、どしたのエステル。そんなため息なんかついて」
 桃色の髪を揺らして少女が顔をあげる。リタ、と呟くと僅かに表情を和らげたが、またすぐ難しそうに歪んだ。
 どうにも間が持たず、リタはカップの中身に口を付けた。やがて、遠慮がちな声が返る。
「リタはご存知です?」
「何を?」
 そのぅ、とエステルは言い淀む。早くして、などと急かせるはずもなく、リタは再びカップを傾かせた。
「……胸ってどうしたら大きくなるんでしょう」
「ぶはっ」
 リタの口から飲みかけのお茶が吹き出した。
「り、リタ、大丈夫です?」
「だ、大丈夫っていうか……」
 咳き込む背中をさすってくるエステルから目をそらすふりをして、リタはそっと己の胸部を凝視した。
 知らず小声が漏れる。
「……てか、それはあたしに喧嘩売ってるのかって気がしないでもないんだけど……」
「え?」
「う、ううんこっちの話」
 声に出ていたことに気付き、ごほん、とわざとらしく喉を鳴らして話の方向を切り替える。
「……っていうか、胸なんかでかくてもいいことないと思うんだけど」
「そう、でしょうか……」
「そーよ。でかいと肩が凝るっていうし、年食ったら垂れてくるって話だし。それに胸の前にでかいのがあったら何をするにも邪魔でしょうがないわ」
「あら。そうでもないわよ?」
 展開したリタの持論をやんわりと否定したのは、おっとりとした――それでいて氷のような鋭さを伴った――女性の声だ。
 歩く度に揺れる触覚はクリティア族を示すもので、面積の少ない衣装で隠されたグラマラスな肢体は、激しい動きが加われば(その一部位によって)さらなる振動を産むことが容易に想像できた。
 エステルはどこか気まずそうに彼女、その胸の辺りを見ながら問い返す。
「ジュディス。……そうなんです?」
「ええ。慣れれば邪魔とは思わないわね」
 涼やかで控えめな声に、絶大な主張を誇る実物を持って断言されてしまえば、もはや否定することもできない。
 少なくとも、その巨大さに圧倒されるしかない大きさの人間には。
「くっ……どうせあたしはぺたんこよ。それの何が悪いわけ!?」
「り、リタ? ぶつぶつ言ってどうしたんです?」
「……なんでもないわ」
「ところでエステル。あなたは胸を大きくしたいのかしら」
「はい」
「それはどうして? あなたもないわけではないのだし、大きさ的にも恥ずべきものではないと思うのだけれど」
 言われてみれば確かに。
 腐っても学者肌と言うべきか、リタはどんなに考えを巡らせても覆しようのない現実を横に置くと、目の前の素朴な疑問に食いついた。
「それもそうよね。どうして?」
「そ、それは……」
 二人からのやんわりとした集中砲火にエステルは再び口ごもる。
 結果として、その口が理由を紡ぐことはなかった。
 その沈黙が予想通りの答えを示していると判断した気の利く女が、自分で提示した疑問をあっさり取り下げたからである。
「まあ、胸を大きくしたいというのは女性としてよくある悩み、かもしれないわね」
「そうかしら」
「そうだと思うわ。年頃の女の子は特にね」
「……なんかひっかかる言い方ね」
「あら、気に障ったならごめんなさい」
 そんないつものやりとりで話が有耶無耶になった頃、何かを決めたらしいエステルが真面目な顔を向けた。
「……あの、ジュディス、聞いてもいいです?」
「ええ、どうぞ」
「ジュディスはどのようにして大きくなったんです?」
 そうね、と考えるポーズを取ってから、
「私は特に何かした覚えはないのだけれど」
 ジュディスは考える必要もなさそうな答えを返した。
 続いて、まだ学者的な思考が続いているらしいリタが、考えながら、考えたままを口にする。
「そういえば、クリティア族って胸がでかいのが多いわよね。まあ、それほど数を見たわけじゃないから、統計学的に何の根拠もないし、気のせいってレベルだろうけど」
「じ、じゃあジュディスのは種族的な体質によるところが多くて……人間の私には無理だということでしょうか」
「いや、そうとは言わないけど……でも、体格に遺伝的なものがあるのは否定しないわ。大きい豆同士をかけ合わせた場合と、小さい豆同士をかけ合わせた場合に、大きい豆ができる確率は圧倒的に前者でしょうし」
「そんな……」
 エステルの沈んだ声でリタが我に返らないうちに、ジュディスが今にもよろめきそうなエステルの肩を支えた。そうして優しく諭すように告げる。
「そう落ち込まないで。そうね、大きくするにはミルクがいいと聞くわね」
「それ俗説なんじゃなかった?」
 反射的なリタのツッコミと同時、ジュディスの手がエステルの耳を塞ぐ。
「ミルクですか……ミルク……確かに何かで読んだような気も……、頑張ってみます」
「お腹を壊さない程度にね。あとは……そうね」
 考えるふりをしてさり気なくエステルから離れれば、縋るような視線を送られる。
 ジュディスはくすりと笑みを浮かべた。
「愛情、かしら」
「あ、あいじょう……です?」
「ええ。大きい胸にはミルクと愛情が詰まっていると、どこかで聞いた覚えがあるわ」
 胸に手を置きながらにっこりと告げられる。
 リタはその仕草に嫌味っぽさを感じたが、エステルにはそう感じる余裕はなかったらしく、
「愛情……」
 そう、ぼんやりと復唱したまま固まってしまった。
「……あれ、エステル? ちょっと、どしたのなんか顔が赤いし」
 熱でもあるのかとリタが手を伸ばせば、我に返ったらしいエステルは素早く身を退いた。
「えっ、い、いえ、なんでもないですよ? なんでも!」
「明らかになんでもあるわね」
「そんなことないです! あ、あのジュディス、リタも、ありがとうございました!」
 早口でまくしたてると、エステルは逃げるように走り去ってしまう。
「あっエステル!」
「あらあら」
 待ってと伸ばした手を力なく下ろしてから、リタは半眼で諸悪の根源(っぽいもの)を見つめた。
「……あんた、エステルで遊んでない?」
「そう見える?」
「見えるから言ってるんでしょ」
「あら、珍しくその通りに見えたのね、嬉しいわ」
「やっぱあんたむかつくわ……」
 これがあのおっさんだったらファイアーボールでもぶちかましてやるのに。そう毒づきながら、リタは片手で頭を抱えた。
 実際のところ、おっさんことレイヴンもジュディスも悪びれないのは一緒なのだが、それが何か?とばかりに自信たっぷりに主張されるとキレてる自分が馬鹿みたいに思えてくるのだった。対して、レイヴンの場合はどうかここでツッコんでとばかりに馬鹿なことをするので、全力で魔術をぶっ放せる。
(……昔だったら誰彼構わずぶっ放してたわね)
 リタは変わってしまった自分に――ここまで変わってしまう程、様々な事が起こりすぎたことに――苦笑気味に息を吐いた。
 変わってしまった今の自分は、嫌いではなかったから。
「あら、エステルったら前を見ないで走ってるから今にもユーリに激突しそう」
 そんなわざとらしい声が、リタを回想から現実に引き戻した。
「な! ちょっ、ま、待ちなさいエステルー!! あんた後で覚えてなさいよ!」
 最後の一言は指をつきつけたジュディスに向けたものだが、当人はただにっこりと笑顔を浮かべただけだった。
 逆撫でされた神経を視界の端にいる敵へ置き換えると、リタはダッシュで姫――救い出すべき存在――の元へと向かう。
 一人残されたジュディスはその光景を眺めながら、誰にともなく呟く。
「元気でいいことね」
「おっさんも、そのミルクと愛情が詰まった人体の神秘についてご教授願いたいなあ」
 背後から出てきた存在は最初から気配を隠そうともしていなかったので、ジュディスは驚くことなく笑顔で振り向いた。
「あら、スパルタ式でいいかしら」
「んー、おっさん特段そっちの趣味はないけど、ジュディスちゃんになら開拓されてもいいかも」
 でれっ、と鼻の下を伸ばした相手に、表情は一つも変えないまま――
「串刺しなんてどうかしら?」
「いえ、やっぱり遠慮させていただきます」
 ぴたりと急所を狙って構えられた槍に、レイヴンは項垂れながら白旗をあげた。






 最初はユリエスを目指していたはずなんですが気が付いたらリタエスっぽくなり最終的に収拾がつかなくなりました(こら)
 カロル先生とラピードが不在なのは仕様です。うまく入れられなかった……。
 ヴェスペリアの面子はなんというかそつがなさすぎるが故にオチがつけにくくて困る。いや大好きだけど。

 愛情うんぬんは某大人向け頭脳ミステリーAVG(PS2版はリアルタイム進行・謎解きADV)の先生の言から。
 いやその、主人公の外見がユーリに見えなくもないとかそんな感じで……(こら)

(2008/10/26 up)

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