これは嬢ちゃんから、とすれ違いざまに渡された封書には、二人だけで会って話がしたい旨が記されていた。
 何の話かは想像がついている。数日前からまことしやかに囁かれている噂のことだろう。いや、こうして人目を忍ぶように手紙が届いたのだから、事実というべきか。
 いつかこんな日が来るであろうことはわかっていた。だから特に感想も感慨もなかったし、ようやくかとも早かったなとも思わなかった。
 ただ、間近で彼女の笑顔を見る機会は大幅に目減りするんだろうなと、それだけはひどく残念なことのように思えた。

 野暮用ができたとダングレストを後にして、手紙に指定されていた場所へと向かう。
 花の街ハルル。
 過酷な旅を経て、副帝としての地位を授かった彼女が、別宅として居を構えた街。
 時に世界を回り人々に触れ、時に帝都へ戻り皇帝を支える彼女が借りたこじんまりとした家は、彼女の個人的な夢――作家になること――を叶える場として設けられた。
 世間では「エステリーゼ」の名で知られている彼女は、ここに居る間と、かつての仲間の前でだけは「エステル」と名乗った。
 公私を分けることも必要だと思って――とは、引っ越した時の彼女の挨拶だったか。


*****


「ご足労頂いてしまってすみません、ユーリ」
「いいって。ギルド絡みの用事もあったからな。丁度良かったよ」
 街に着いたのは夜になってからだった。
 彼女は数日ほどこちらに滞在しているということだったが、向こうもだらだらと先延ばしにされるよりはさっさと済ませてしまいたい事象だろうと、遠慮無く玄関の戸を叩いた。
 もちろん、先送りにされて困るのはこちらも同じだった。わかりきった結果を先送りしたところで何の益もないからだ。
 快く招き入れられた室内で、勧められるままソファに座り、出されたお茶を一口飲み、カップを置く。
「で、話ってのは?」
「……はい。もしかしたら、もうご存知かもしれませんけれど……」
 言いにくそうにしている印象はあったが、思っていたほど彼女の口は重くはなかった。

 ――結婚話が持ち上がっているんです。

 そう切り出したエステルは、そうなるに至った経緯を大まかに語った。
 ただ、それは大体噂の内容から予想できた範囲と変わりない話で、やっぱりな、という確認にしかならなかった。
「ヨーデルは、無理に受ける必要はない、と言ってくれています。でも……」
 そこで初めて彼女は言い淀んだ。どうやらそこが本日の論点らしい。
「迷ってるのか?」
「そう……ですね」
「エステルなりに考えて、それでもまだ迷ってるんだな?」
「……はい」
 そうだな、と呟いて考えるようなポーズを見せてから、続ける。
「じゃあエステル、考えたことを俺に教えてくれないか」
「え?」
「人に相談しようと説明してるうちに、自分で答えを見つけちまうこともある。とりあえず、考えをまとめなおす意味も含めて、どうだ?」
「あ……はい、そうですね」
「状況はだいたいわかったから……そうだな、エステルがその話を受けた場合の、メリットとデメリットをそれぞれ言ってみてくれ」
「メリットと、デメリット……ですか」
「簡潔にまとめてくれると助かる。ああ、ちょっと時間あった方がいいか?」
「いいえ。ちゃんと考えましたから」
「OK。じゃあメリットから」
 エステルは生真面目に居住まいを正した。それと同時に固くした表情のままで、口を開く。
「私と婚姻を結ぶことで、相手方と帝国とのつながりが盤石なものとなります。内部での友好化も進むでしょうし、婚姻の儀となれば帝都に人が集まり、経済的な活性化も見込めます。結果として、世界が一つになるための一歩になるのではないかと、私は思っています」
「なるほど。デメリットは?」
「……この家を引き払うことになるかもしれません」
 メリットはすらすらと流れるように述べたくせに、デメリットとなると途端に歯切れが悪くなった。
 まさかそれだけじゃないだろうと、続きを促すべく軽く相槌を打つ。
「まあ、そうだな。結婚したってのにこっちに住んでたんじゃ家庭内別居みたいなもんだろうし」
「はい。それに……作家の夢を諦めることになるかもしれないです」
「そうか? 本当に叶えたい夢だったら、そんなことはないと思うけどな」
「もちろん、やれる限りは続けるつもりです。でも、皇帝家の者として役目を果たすならば、個人の感情を優先させるべきではありません。それが、人々を率いていく者の宿命です」
 エステルの固い声はムキになっているようにも聞こえた。だから、わざと乱暴な言い方で返してやる。
「まあ、指導者にはよくある弊害だな。他にはなんかあるか?」
「……あります」
 エステルはやや下向きに俯くと、目元を隠すようにした。よほど言いにくいことであるらしい。こちらも静かに腹を括る。
「あと、一つだけ」
「なんだ?」
「私、私の……感情を、一つ、押さえ込まなくてはなりません」
 声が微かに震えていたのは、気のせいではないだろう。
 当然それには気付かないフリをしながら、それはなんだと質問を繰り返す。
「それは……」
 言い淀んだエステルは、一度口を閉じてしまった。引き結んだ唇が開かれるのを辛抱強く待ってやる。
 審判の時を待つ罪人ような心地――それがあながち間違いではないことに、知らず苦みの混ざった笑みが浮かぶ。完全に下を向いて俯いてしまったエステルに、その顔を見られなかったのは幸いだった。
「私……」
 握り込まれたエステルの手が小さく震える。
 そうして――覚悟を決めたというよりは、単純に抑えきれなくなって暴発したかのように――、エステルは顔を上げた。
 その目には責めるような色が浮かんでいた。それは正しい、そう思う。
「だって、私は……!」
 だからこそ、大きく開きかけた唇に人差し指をあてて、その動きを封じる。
 強くあてたわけではなく、軽く触れる程度だ。その気になればすぐにでもエステルは続きを叫ぶことができる。
「……っ」
 けれど、エステルは言葉を飲み込んだ――いや、飲み込んでくれた、のかもしれない。こちらの思惑通りに。
 長い付き合いだ、明確に言葉にせずとも通じ合うものがある。何よりエステルは他人の動き――特に心の動きに敏感だった。
 その一心に他人を思いやる心は、最初はこそばゆさを感じて一歩引きがちだったが、勇気を出して近づけば何てことはない、ただひたすら心地良いだけの空間だった。
 そしてそれは、誰か一人のためだけに向けられたものではない。大勢の、ともすれば世界中の生けとし生けるもの全てへと向けられる無垢で真っ直ぐな心は、誰か一人のものになってはならない種類のもの。
 彼女にはずっとそのまま、穢れのないままでいてもらいたい――それは何も、自分だけが抱いている感情ではないはずだ。きっと。
 己の認識を確認し終えると、口元には勝手に笑みが浮かんだ。
 ゆっくりと触れさせたままの指を離す。エステルの唇は止められたままの形で固定されている。同じく、その視線も。
 すなわち――理不尽に意見を封じられたエステルは、もはや視線でしか語る術を持たなかったのだ。
 どうして、と。
 その大きな瞳は雄弁に、彼女の意思の全てが集約された、そのたった一つの単語を突きつけてくる。
 だから、こちらも端的な回答でもって答えてやる。
「俺は罪人だ」
「それは……っ、でもユーリは!」
「ああ。俺は俺のやりたいように、俺が正しいと思うことをやった、それだけだ。自分の行為を恥ずかしいとは思っていないし、後悔もしてねえ。許されるとも思ってないけどな」
「……っ」
 告げてしまえば、エステルも無碍にそれを否定できなかったようだ。
 実際のところ、こうなるとわかっていたからこそ告げた。
 例えエステルであっても、こればかりは否定することは敵わない。そう、いつだったか砂漠の街で、刃を向けられることがあれば悪いのは自分だなどと告げてきた彼女には。
 彼女は彼女の道を行き、自分は自分なりの道を行く。その道は決して一つになることはない。
 どちらかといえば、彼女は親友と同じ道を歩むべき存在なのだ。自分はただ、彼らの旅路がよきものとなるよう、影ながら支えたりちょっかいを出したりするだけでいい。
 それを不幸なことだとは思わない。むしろ幸せなことだと思う。
 何故なら――大切に想う誰かの役に立てるのだから。
「まあ、何だ。さしずめ俺は、「ハルルのお話」でいう花の娘、ってところか」
 辛そうに歪んでしまった表情をどうにかしたくて、慰めになればと持ち出したのは、彼女が最初に創作した物語。
「え……?」
 怪訝そうな声が返ってくる。妙な誤解をされる前に、さっさと意味を伝えることにした。
「皇帝家の者をたぶらかす悪い奴、ってことさ。フレンかルブランあたりに追放されてな」
「……」
 エステルの顔は強張ったままで、一向に解ける気配がない。
 だから、普段は言葉にしないことを、ためらわずに告げた。
「でも、俺はいつだってエステルを見守ってる。あの花の……いや、あの木と同じで、離れていても、ずっと」
「……ユーリ……」
 罪人が堂々と皇位継承者たる姫の隣を歩けたのは、それが必要な状況だったから。世界を救うために、世界の人々を救いたいと願った彼女と、仲間達と、自分のために。
 互いに自分の進むべき道を見出した今、すぐ側で歩み、時に手を引いてやる――そんな必要はどこにもなくなったのだから。
「そう、ですね……」
 しかし沈んだ表情は変わらない。
 それどころか、何かを諦めたような色がそこに加わってしまっていた。
(……あー……)
 しまった、と失策を自覚する。原因は明らかだった。
 しょげた両肩を見下ろして、ぽりぽりと頬を掻く。
(もしかしなくても、こりゃわかってない……よな)
 明確な言葉を避けてしまったがゆえに引き起こされた意思疎通の失敗、そして理解の不一致。ってめんどくさく言ってみたが、要は言葉足らずだったというだけだ。
 とりあえず顔を上げさせるべく名前を呼ぶ。
 のろのろと上がった顔は今にも泣き出しそうに見えて、一瞬たじろいだが、どうにか持ち直した。
「ユーリ……?」
「エステル。お前、自分で創った話なのに忘れちまったのか?」
「え?」
 やはり気付いていないようだ。
 まあ、遠回しに伝えた自覚はあるので、これも思惑通りと言えば思惑通りなのかもしれないが……できれば予想を裏切って欲しかった。
 世の中そううまくはいかないよなと自嘲しつつ、ヒントを与えてみる。
「あの花の娘は、追放された後どうして花を咲かせたんだ?」
「それは、王子を励まそうとして」
「どうして励まそうと思ったんだ?」
「花の娘は、王子のことが……あっ」
 ぱちぱち、と大きな瞳が瞬く。
 そこにはもう、「どうして」という意思は微塵も残っていなかった。あえて読みとるなら、「本当に?」といったところか。
「ま、そういうこった」
 最後に彼女の推測を確信に変えてやると、覗き込んでいた体を――そのために普段よりも詰めていた距離を――引き戻しかけて、
「――だ、ダメです!」
 予想外の叫びに、中途半端な位置で動きを止められる。
「そんなのダメです、そんなの……」
 まるで駄々っ子のように首を振るエステルは、ダメの二文字を繰り返した。
 おそらく多分きっと好意を示した自分のことを拒絶しての発言ではないんだろう、ってことはわかっているんだがタイミングがタイミングだけにわりとざっくり傷ついたような気がしないでもない。
 そんな動揺気味の内心を誤魔化しながら、宥めるように優しく問い返す。
「不満か?」
「違います、そうじゃなくて……ユーリには、ちゃんと、幸せになってもらわないと」
「は?」
「そんな形じゃなくて、ちゃんと、その……誰か好きな人の側で、添い遂げることで幸せを」
 ようやく理解できたエステルの主張。
 それはひどくわかりやすすぎて、当たり前すぎて――そう、エステルにとってはそれが当たり前なのだろう――、
「っはは」
 気が付けば笑ってしまっていた。
 一度口に出すと止まらなくなった。別にそれほどおかしいわけではないのに。いや、そもそも面白いわけでも何でもないのに。
 ただ、目の前の相手がひどく愛しい存在だなと再認しただけだというのに。
「な、なんで笑うんです!?」
 まあもちろん、真面目に話してる最中に笑い出したら誰だって怒るわな。
「あ、ああいや、悪かった。っはは」
「ユーリ!」
 誤魔化されたとでも思ったのだろうか。
 何やら泣きそうな怒り顔で詰め寄ってくる相手の――とても大切で大事な相手の名前を、丁寧に呼ぶ。
「エステル」
 意図的に変えた声の調子にか、エステルは途端にその勢いを消した。
 両肩を緩く掴んで軽く押し返し、互いの間に一定の距離を保たせる。
「何度も言うが、俺は罪人だ」
「……はい」
「だから、エステルの言うような、そういう人並みの幸せなんてもんは端から期待しちゃいない。そういうものを捨てる覚悟をして、この道を選んだからな」
「……っ」
 持ち上げた利き手をじっと見つめる――その様を、彼女に見せ付けるために。
 武器を握り、悪人を死に至らしめた、自らの手。
 その手のひらが、べっとりと赤黒い何かに塗れている。そんな幻視をしながら、口元を軽く歪めてみせた。
「だいたい、こんな汚れた手で抱きしめられたいとか思うか? 俺だったらごめんだね。ま、俺が花も恥じらう乙女だったら、だけどな」
「ユーリ、そんなこと……」
「これは俺が決めた俺の生き方だ。誰がなんと言おうと、俺はそれを変えるつもりはねえよ」
 吐き捨てるように締めくくる。
 反論されればされただけ説き伏せる自信があった。己の生きる道を決めたのは、仲間でも親友でもなく、他でもない自分なのだから。
 そして結局、エステルは黙るしかなかったようだった。
「――だからさ、エステル」
 そこで初めて、軽く屈むようにしてエステルと目の高さを合わせる。
 不安と切なさがない交ぜになったような顔は、そんな顔をさせてしまってすまないという気持ちと、自分のためだけにそんな顔をさせているのかという最低な優越感とで、こちらの心を満たしてくれた。
「せめて、ずっと見守っていくぐらいの幸せを、俺にくれないか」
 そのわりかし一方的な提案を、エステルは長い時間をかけて吟味したようだった。
 きつく引き結ばれた後に、僅かに噛まれた唇が、ゆっくりと開かれる。
「それは……それが、ユーリにとって、幸せなこと、……なんです?」
「ああ。この上ない、な」
 ただの自己満足とも言うけどな。そう、心の中だけで付け加える。
「……わかりました」
 エステルは一度目を伏せる。
 そうして開かれた瞳には既に、決然とした意思を伴わせていた。
「ユーリがそれを望むなら。それがユーリの幸せに繋がるなら、……私はなにも言いません」
 こちらも満足して、――自ら引き起こした結果に、一抹の寂しさを感じつつ――屈めていた体勢を元に戻す。
「ありがとな、エステル」
「はい」
 そこで話は終わりのはずで、この余韻を台無しにしてしまわないうちに退散するかと思っていた矢先、おずおずとエステルから声がかかった。
「ところで、あの……ユーリ」
「ん?」
「ほ、本当です?」
「なにがだ?」
 本当にわからなくて聞き返すと、エステルはさんざん口の中でもごもご言ってから、短く言った。
「その、花の娘と同じ、って……」
「ああ、そのことか。……って、なんでそこで確認かね」
「だ、だって……はぐらかすってことは、やっぱり違うんです?」
 疑う余地のないところを疑われてしまうのは、やはり不安なのだろう。……信用されていないわけではない、と思いたい。
「本当だよ。まったく、そこは長い付き合いだろ。察してくれ」
「そ、そうかもしれませんけど……でも、こういうことは大事なことですから、ちゃんとしておくべきだと思うんです!」
 両手をぐっと握りしめての力説。
 反論出来る奴がいたら連れてきてくれ。とりあえず(このやり場のない心地をスカっとさせたいんで)殴るから。
「はは、まあ、そいつはごもっとも」
 脳内では早くも白旗があがっていた。
 いくつか誤魔化す方法を考えてはみたのだが、どれも勝てる気がしなかったのだ。
 ……正直、男としてわりと情けないな、この状況。
「あー、ごほん」
 わざとらしく喉の調子を整えると、エステルも居住まいを正した。改めて二人で向かい合う。
 緊張気味に表情を硬くして、ほんのり頬を染めたりして、……ああうん、可愛いよなほんと以下自主規制。
「好きだ、エステル」
「私も、……私も、あなたのことが好きです。ユーリ」
 今ぐらいは許されてもいいだろう。
 そう自分に言い訳して、腕にかけていた抑止を取っ払う。
 何度か抱き着いてきたことのある体はやはり小さくて、そして温かかった。
 固めた意思が溶けてしまいそうなほどに。



「……私、もう少し考えます。あのお話」
 体を離しかけて、それに抗うように服を掴んできたエステルは、ぽつりと呟いた。
「でも多分……多分、私は……エステリーゼは、お城に戻るんでしょうね」
「……そうか」
 自身に言い聞かせるような口調は、見ているこちらが身を切られるような錯覚に陥った。
 エステルが顔を上げる。
「でも、『私』はここにいます」
 しっかりと、前を見据える瞳は強く。
「エステルって呼んでくれる皆と旅をした、作家を夢見て頑張る、ユーリのことが大好きなエステルは、……ずっとここに」
 言って、エステルはそっと自身の胸へ手を当てる。
「それから、ここにも」
 そっと、エステルの手がこちらの胸へと触れてきた。
 それは服と手袋越しだというのに、そこから彼女の暖かさが伝わるような気がして。
「ああ。そうだな」
 だから、その手に自分のそれを重ねて、そっと握った。
 その温もりを閉じ込めるように。
 これぐらい独占してもバチはあたらないよなと、ひとり心中で言い訳をしながら。






 だって物語中盤でユーリが罪人罪人繰り返すからじゃあED後もわりと薄ら暗い流れだったりするわけですかキシャー! とか思いながらプレイして、クリアする前にどんだけアレゲな終わりが来ても平気なようにとつらつら妄想してたED後でしたマジすいませんごめんなさい。

 そしてクリアして見たEDのあのほんわかムードに一人で困惑した!(笑) えっ何こんな普通に幸せでいいんですか!? みたいな!(笑)
 ううういやそのほらアレですよ、アビスが以下略だったからてっきり今回もそう来るかと思って総員衝撃に備えろ的なアレだったというかですね!(……)

 というわけで今は普通にまったり幸せなED後を妄想している次第なのですが、でも書いちゃったし貧乏性なので出してみたよ!(最低だ)
 ……うんほんとうすいませんでした土下座。

(2009/01/19 up)

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