(ばっかじゃねえの)

 たくさんのハニーたちとのけだるく甘ったるい時間を終え、屋敷に戻るなり部屋で休むわと一言告げ階段をのぼりかけたところ、そっと耳打ちされた状況報告。
 衰退世界で動きがあったらしい。
 ここ数週間、何か進展があるたびこの有能な執事は正確な情報を伝えてくれていた。
 自室のソファにどっかと腰をおろしまず第一に思ったのは、呆れ七割どうでもいい二割、残る一割を益体もない怒りで占めた先刻の言葉だった。
「藤林様が、衰退世界へ刺客として向かわれたそうです」
 聞き覚えのある――否、聞き間違うはずもない名前が脳裏に鮮明な映像を描く。
 自分を「アホ神子」とばちあたりな呼称で怒鳴った少女。
 俺さまとは次元が違うものの、少なからず手痛い過去を背負った、ミズホの里の孤独なクノイチ。
 いつだって真っ直ぐな瞳と清廉な態度をもって「ゼロス・ワイルダー」に接してきた、おそらくは――執事を除けば――たった一人の存在。
 それが、もう一つの世界へ、俺さまと同じ神子を暗殺しに出かけた?
「今回ばかりはミズホの里も形無しだな」
 それともまた、彼女が自ら志願でもしたのだろうか。
(……ちっ。あのバカがやりそうなこった)
 改めてソファに背を預け直すと、大きく息を吐き出す。
 自然閉じていた瞳をゆっくりと開く。何とはなしに、見えるはずのない彼女の姿を幻視してみた。
 いつだったかこの部屋に招き入れた彼女は初め、家具やら調度品やらの質に驚きながらも呆れていたっけ。色々嫌味も言われたな。
 プレゼントに占領されたソファは当然使い物にならなくて、ベッドに座ってこっちに来いよと言ったらここでいいとか言い張ってドアの近くから動かなかった。
 その反応があまりにも新鮮で、勿体なくて、心の中の何かがじわじわと何かが浸食されていって――どういう表情をしていいのかわからなくなって。
 とりあえず一番近そうな感情を選んだ結果。

 笑ってみた。腹筋が痙攣するほどに。

 何がおかしいんだい!と真っ赤になって怒る彼女がさらに意味不明の笑いを誘って、結局彼女はそこから一歩も進むことなく回れ右をして帰ってしまったんだった。
 あの貴重な存在を失ったことは――それも自ら突き放したことは――後悔していない。
 ゆるゆると何かが変わっていくのを感じる中で、気付いてしまったから。
 自分が求めるのは彼女であり、ひいては彼女の幸せなのだろうと。
 そして――自分の側では決して、彼女が幸せになぞなれるわけがないのだろうと。
(だっつーのによ)
 幸せになって欲しくて籠から放したのに、彼女は自ら、幸せとは程遠いところへと飛んでいこうとする。
 だがどちらにしても、彼女が幸せになれないことには変わりがないのだ。だから後悔することもない。
 自分は出来る限りのことをした、それだけのこと。
 いつも通り、願いなど叶いはしなかっただけのこと。

(だいたい、あのお人好しに暗殺なんかできると思ってんのか?)
 だとしたらとんでもなくおめでたい所だ、ミズホの里というところは。
 テセアラの裏で暗躍する彼らがそんなでは、この繁栄世界も長くはないのかもしれない。
 あちらの世界で活動を始めた神子とやらは、少なくともそれなりの人格者なのだろうと思う。
 この繁栄世界と違い、あちらは追い詰められているのだ。逼迫した状況を打破すべく、大真面目に殉難覚悟で旅を続けているのだろう。
(そんな人間を、あいつが殺れると思うか?)
 答えはまごうことなく否。
 少ない時間を過ごしただけの俺さまにだってわかることが、生まれ育った里の者にわからないはずがない。向こうがわかろうとしないのであれば、別だが。
(ま、俺さまみたいなのだったら、どうだかわかんねーけど)
 そう、冗談めかして呟いた自分の言葉に、奇妙な羨望を覚えた。

 もし俺さまが衰退世界の神子で、しいながテセアラのために俺さまを殺しに来たとしたら。
 あちらは衰退世界。文明も何もかもがこちらから遅れていて、もうひとつの表裏世界があることなど露とも思っていない。
 そこへ謎の刺客。驚く俺さまとそのご一行。
 ちゃらんぽらんな神子を前に彼女は容赦なくその腕を揮い、ナイスバディに悩殺されつつ、俺さまはわけもわからぬまま殺されるのだ。
 神子らしからぬ神子を成敗した彼女は、こちらの世界へと凱旋。テセアラを衰退の危機から救った英雄としてしばらく語り継がれることだろう。
 そうして、里でも彼女は居場所を見つけることができて――

「……アホらし」
 軽く首を振って妄想を振り払った。馬鹿馬鹿しい。「もしも」を考え出したらキリがない。
 俺さまにとって「夢」とは寝るときに見る幻影でしかなく、叶うものでもまして叶えるものでもないのだから。


 でもただ、ほんの少し。

 本当の俺さまだけを見てくれていた彼女に命を奪われて。
 この世界も、神子というしがらみも、生きているのか死んでいるのかわからない自分の存在からも解放されるというなら、それはどんなにか。


 そうしてひどく甘美で愚昧な夢に浸かりながら、今はただ彼女の幸せだけを祈る。
 馬鹿げた行為だと理解しながらも、しばらくの間、それを止める気にはならなかった。






 こんな夢見がちゼロっさんてどうなんでしょう。あっ引かれてる気が。
 いやいいですけど私は楽しいから!(……)

(2005/03/07 up)

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