うーん、と口に人差し指を当てながら、ジーニアスは答えた。
「姉さんは遺跡漁り……じゃなかった、遺跡めぐりとかじゃないのかな」
「だよな。じゃあジーニアス、お前は?」
「ボク? ボクは……もっと色々なことを知りたいかな」
「じゃああの、パルマコスタの学校に戻るのか?」
「え? うーん、まあ……学校に行かなくても勉強はできるよ。でも学校にいた方が、効率はいいことは確か……かも」
「はいはーい、そこな寂しい野郎二人組、なんのおハナシかなー?」
 弱々しく濁した語尾に被さるように割り込んできたのは、空気をまるで読まない軽すぎる口調だった。
 歯切れの悪くなったジーニアスの助け船かと思われたそれは、ジーニアスにとっては最も来ては欲しくなかった類であったようで、あからさまに表情を歪めている。
「あれゼロス、お前見張りは?」
「交代してきた……というよりは、させられたっつーか……ま、そんなカンジ」
「じゃあ今、誰が見張りをやってるのさ」
 不真面目を立体化したようなゼロスの態度にさらに機嫌を悪くして、やや批判的な口調でジーニアスが突っ込む。
 対するゼロスは、ちらりと横目だけでジーニアスを見やって、顔の向きはもう一人の方――ロイドへ固定したまま、仲間の一人の名前を呟いた。
「しいな」
「何でしいなが?」
 素直な疑問をぶつけてきたのはロイドだ。
 にへ、と表情をだらしなく緩めながら、ゼロスはすらすらと答えた。
「ミズホから連絡があるかもしれないとか言ってたんで、じゃあ俺さまと一緒に見張りしつつスウィートな夜でも過ごさないかってお誘いしてみたわけよ。そしたら」
「あー、もうだいたいわかったからいいよ話さなくて」
 先ほどのお返し、とばかりにジーニアスはゼロスの言い分を遮った。手をひらひらと振るジェスチャーも忘れない。
「……ガキんちょと以心伝心してもちっとも嬉しくねーし」
「ボクだってごめんだよ。気持ち悪い」
「ああ、やっぱ頬晴れてるっぽいの気のせいじゃなかったんだな」
 よくやるよ、とロイドも呆れた。
 そうこうするうちにちゃっかりロイドとジーニアスの真ん中に陣取ったゼロスは、きょろきょろと二人の顔を見回してから、そっと声を潜めた。
「で。野郎二人でこそこそと何のハナシよ。ひょっとしてこっちのハナシ?」
 卑猥なジェスチャーをしてみせるゼロスに、まずジーニアスが反応した。というか、ロイドはきょとんとしたままだ。
「あのね。あんたと一緒にしないでくれるかな」
「おいおい、男が顔突き合わせて話すことっつったら他にナニがあんのよ」
「夢の話をしてたんだよ」
 大(の女好き)の大人と小さいけれど頭脳明晰の少年による、平行線にしかならない言い争いが始まる前に、ロイドが素早く話を元に戻した。
「夢ぇ? ははーん、エッチな夢を見るコツはだね諸君」
「あーはいはい、誰も聞いてないからそんなこと」
「何お前知りたくねーの? 悪いけどこれ成功率八割超えだぜ?」
「あっそ」
 無視する勢いのジーニアスに、珍しくゼロスはさらに食い下がった。にやにやした笑みを強めて。
「わりと相手も思いのままよ? なんなら俺さまが今夜実践して成果を報告してやってもいーぜ? プレセアちゃんとかで」
「っプ、プププレセアを汚すなあこの変態妄想魔――!!」

 そして、夜闇に白色の一閃と爆音が響く。
 幸か不幸か、ロイドとジーニアスはキャンプからやや離れた場所――森を抜けた先にあるちょっとした岬――まで来て話し込んでいたので、就寝中の仲間にはさして気付かれなかったらしい。



「あー……てて。くっそ、あのガキんちょ、次にパーティーに入ったとき覚えてろ」
 目立った場所にはファーストエイドをかけて、他はまあ舐めときゃいーやと酷く適当に手当を済ませてから、ゼロスはその場にごろんと横になった。
「誰が『変態』妄想魔だっつーの」
 さんざん術でぶっ飛ばした挙句、行こうロイドアホが移るよ!とロイドを引っ張って行ってしまったハーフエルフの少年の叫びが、何故か耳に残っていた。
 はあ、と大きく息を吐き出す。
(「夢」なんて叶いもしないもんにこだわるよか、「妄想」してる方がよっぽど健全だろーに)
 世間一般でいう――先ほどロイドとジーニアスが話していたような――「夢」と、ゼロスにとっての「夢」には決定的な違いが一つあった。
 実現可能性の有無である。
 彼には確かに夢がある。だがしかし、それは決して実現したりしない。仲間が必死になって実現しようとしている、世界の統合が起こったとしても――それはひどく難しいことに思えた。
 頭の回転は決して悪くはない彼が幾度となく、性懲りもなく、珍しく諦め悪く――リーダー役の少年に毒されたのだ、とゼロスは自分に言い訳していた――計算し尽くしてそれでもなお、実現の可能性が低すぎる、と結論付けられた。
 だからゼロスは「夢」ではなく「妄想」に勤しむことを選んだ。選ばざるを得なかった。
 「妄想」は「夢」とは違い、現実ではないものや、ありえない何かを想像するものである。曲がりなりにも現実に即した何かを想定される「夢」と違い、「妄想」は現実という制約がない。
 何のしがらみもなく、自分の思うままに創造できるただ一つの世界。そこにどんなルールを設けようとも自由だ。
 そしてそれは、公言しない限り誰にも迷惑をかけたりしない。
(そう、例えば――)



「なんだい、こんなとこまで人を連れて来て」
「いーからいーから。ほら眺めキレーだろー?」
「別に、夕方に謁見しに来ればいつだって見られるよ」
「それは一人でだろ? 俺さまと見ることでほらなんつーの、美しいものをバックにより美しいものが映えるっつーか?」
「せっかくの夕日が台無しになる前にあたしは帰らせてもらいたいんだけど」
「うわ、しいな酷い」
「それに渡してきたこれはなんだい。石?」
「そそ。そいつでこの手すりに文字を刻もうと思ってさ」
「文字? なんのために」
「俺さまとしいなが今日ここで愛を語らいましたとゆー記念を刻みつけようと」
「公共物破損も一応は罪になるだろうし、自首すんならついていってやってもいいよ?」
「しーいなー」
「情けない声を出すなっ。って寄ってくるな! 気色悪い!」
「そう冷たいこと言わずにさー」
「あんたはよくてもあたしはたとえ軽犯罪でも犯していい身分じゃないんだよ! そもそもそんな気味悪いことしたかないし」
「気味悪い!?」
「だってそうだろ? 刻むってことは、そこに念が残るってことサ。呪いと一緒じゃないか」
「呪いって……、お前ねえ。どーしてそう色気のないことを」
「あんた相手に色気のあるようなこと言って何の得があるんだい」
「俺さまが喜ぶ」
「つまりあたしには何の徳もないと。ほら、自明じゃないか」
「しーいーなぁん」
「だから気色悪い呼び方をするな!」
「なんか今日のしいな冷たくない!?」
「別に。あんたをまともに相手してると疲れるからさ。適当にあしらうのが一番だってようやくわかったんだ」
「あーはいはいわーったわっーた。ふざけたこと言った俺さまが悪かったこのとーり! とゆーワケで、一緒に文字を刻んでくれると嬉しーんだけど」
「これっぽっちも言ってること変わってないみたいに聞こえるんだけどね」
「しいなー。別に見えるとこにやるんじゃなくて、ほらこのあたりの覗き込まないと見えないあたりにちょーっとだけ。な?」
「……こんなことして何が楽しいんだい」
「ん? だから記念。俺さまとしいなの愛の」
「あんたの脳へ直に事実を刻んでやりたいよ。この石で」
「しいな……そんな大胆な告白は二人きりの密室とかでしてくれると嬉しい」
「あー確かにそうだねえ、目撃者も出なくて後始末も楽そうだし」
「って何で殺気!? 今のって婉曲的な愛の告白じゃねーの!?」
「やかましいっ!」



(……とかすったもんだの末にこう愛のメモリー的な何かを刻む、――とか。どうよ? この健全っぷり)
 半ば虚しさを感じながらも、ゼロスは軽く思い描いた脳内絵図に口元を歪めた。
(俺さまひとっつも手を出してねーし。どこが『変態』だってのよ)
 とはいうものの、己の妄想を引き合いに出して反論するなど冗談ではなかった。もとより子供の言うことにいちいち腹を立てていたりしたら、この理不尽極まりない世界で息をすることもできない。
 なのでゼロスはひとしきり心中でジーニアスに対する反論と子供っぽい悪口を吐き出したあと、疲れたように息を吐いて、目を閉じた。
(なにやってんだ、俺さま――)
「なにやってんだい」
 それはまるで、心の声を誰かが覗き見て、同時に声をあてたかのようなタイミングだった。
 驚いてばちりと目を見開いたゼロスの視界に、呆れたような顔で見下ろす彼女が映っていた。
「あー……見張りは?」
 何から言おうかと考え――ついさっきまで彼女をネタに「どうしようもない」妄想を繰り広げていただけに僅かばかり混乱し、ゼロスはとりあえずどうでもいいことを口にした。
「ロイドが代わってくれてるよ。……ったく、爆音がしたから何かと思えば」
 ほら、とゼロスの前へ無造作に手が伸ばされる。
 ゼロスはそれを数秒見つめて、苛立ったように振られたその手先に招かれてからようやく、己の手を伸ばした。
 掴まれた手は力強く引き寄せられ、ゼロスを立ち上がらせると、あっという間に離れていく。
 そんな当然の現実に、ゼロスはようやく目を覚ました。唇をいつものようにゆるく――心持ちだらしなく――歪めて、伸ばした腕一本分の距離に居る相手を見た。ひどく遠く思われるのはいつものことだ。
 実際、彼にとっては遠き存在なのだから。
「何、そんなに俺さまのことが心配だった?」
「全っ然。ロイドに頼まれたから見に来てやっただけさ。ほら、さっさと戻ってあんたは見張りだよ!」
「しいなと一緒に?」
「ぶぁーっか。んなわけないだろ。あたしは休むよ。ミズホからの連絡もあったしね」
 口早に言い、しいなはさっさと歩き出した。
 その背が一回り小さくなってから、ゼロスは足を動かし始める。

(いーかぁガキんちょ。『変態』っつーのは、ここでがばりと襲いかかったりするよーな奴のことを言うわけよ。もちろん、紳士な俺さまはやんないけど)

 やれないけど、とは言い直さずに―― 一定の距離を保ったまま、ゼロスは黙って歩き続けた。







 ……ええと、夢見がちなのは私でしたというオチがついただけという。
 ゼロっさんとしいなさんの距離を改めて測ってみようとかそういう試みでした。すいません私だけだ楽しかったの!(いつものこと)

(2007/01/21 up)

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