「ねえルカ。ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「んっ、なっなに?」
 夜食のきなこあげぱんを食べ終わった指をぺろりと舐めた瞬間に話しかけられ、ルカは慌ててトレイに添えてあったナプキンを手に取る。
 えへへー、と誤魔化すような笑みが付加されたことに小さくため息をついてから、クローシェは改めて口を開く。
「その……ルカはクロアのどこが良かったわけ?」
「え……っえええええ!?」
「ちょっと、そんな驚くことないでしょ!」
 時間を考えなさい、と今にも再度叫び出しそうなルカを諫める。
「あ、う、うんごめん、その……い、いきなりだったから」
 何がどういきなりだったのかが理解できなかったが、そこは置いておくことにした。話がますます進まないことは目に見えている。
「それで。どこが良かったの?」
「ど、どこって言われても……」
 照れと嬉しさと恥ずかしさをごっちゃにしたような、見ていて呆れるような微笑ましいような表情を浮かべ、もごもごと言葉を濁しつつもルカは考え始めた。
「最初は……どっちかっていうと頼りない弟って感じだったし、口数も多い方じゃなかったし……でもわんぱくではあったかな、近所の子とどっちが私を護るかってケンカしたりとか」
「……予想はしてたけど、だんだん惚気になってきてるわね。というかそれが良かったところなの? 私にはあまりそうは思えないんだけれど」
「え、えっと……だからその、私を護ってくれるってところ! 私クロアにひどいことしたし、ひどいことも言ったのに、それでもルカを護りたいってついてきてくれて……」
 何かを思いだしたのか、ルカの顔がだらしなくふにゃっと崩れる。
 やっぱり聞くんじゃなかったわ、と早くも後悔を感じながら、クローシェは先を促した。
「それだけ?」
「他、他は……あっ、そうそう眼鏡してるクロアってカッコイイよねっ」
「そう? まあ、眼鏡をしていた方が多少は知的に見えなくもないわよね」
 素直な感想を述べると、ルカはやや半眼になって声を潜めた。
「……それクロアに言ったらダメだよ、レイカちゃん。ちょっと気にしてるみたいだから」
 室内には二人しかいない上に、部屋の外に見張りを立たせているわけでもないし、仮に立たせていても室内の音が漏れたりはしないというのに、何をこそこそ話す必要があるのか。
 そこまで罪悪感を感じるような内容かしら、とクローシェは心中で嘆息した。
「だって事実だもの。ルカはそう思わないの?」
「そ、それは……まあ、否定はしないけど」
「ほらやっぱり」
 何も姉妹水入らずの場で他人に対して気を遣わなくてもいいものを。
 それでも、ひとまずの本音を引き出せたことにちょっとした満足感を得て、クローシェはさらに問うてみる。
「それで?」
「それで、って……?」
「だから、他にクロアの良かったところよ」
「他は……えっと……」
 そう言ったきり、ルカは難しい顔をして考え込んでしまう。
 とりあえず三十秒ほど待ってみたが何の返答もないので、仕方なくもう一度聞いてみる。
「……ないの?」
「そ、そんなことないよっ! ただ、えっとその、急に言われてもすぐには出てこないっていうか」
 今回ばかりは、クローシェはあからさまにため息をつく他になかった。
「すぐには出てこない程度の美点なんて聞くだけ無駄ね。ありがと。もういいわ」
「ま、待ってレイカちゃん違う、違うの!」
 何故だか必死に取り縋ってくるルカに面食らいつつ、実際に縋り付いてきたのを引き剥がしながら、落ち着いてと言い聞かせる。
 全く手間のかかる、と思いつつ、けれどそうした彼女の態度が嫌なわけではない。むしろちょっとした――優越感にも似た何か――心地良さがあった。
「何が違うのよ」
「あのねっ、そのぅ……クロアとは小さい頃から一緒にいたし、弟みたいな感じもあったし、……その、ひどいこととかもしてきたけど……でもやっぱり、ずっと好きだったの。居るのが当たり前みたいな感じで、だから、何て言うのかな」
 一気にまくしたててきたかと思えば、そこで一度失速して、軽く考え込む。
 もしかしなくても自分は地雷を踏んだのかもしれない。そんな予感に、クローシェはまた小さくため息をついた。
「クロアのこと、っす……好きなのは、確かなんだけど、どこがって言われてもこれだって言えないっていうか、部分じゃなくて全体が好きっていうか……ただ漠然とクロアが好きなんだと思うの」
 あれだけ動揺しておきながら、言い切ってしまえば開き直ってしまったらしい。
 今やルカはクローシェを真っ直ぐ見つめながら、軽く頬を染めつつも想いを紡いでいる。
「理由とか、きっと考えたらいくらでも言えると思う。でもそれはきっと、後付けでしかない気がする」
「……」
「……あの、レイカちゃん? だ、ダメかな、これじゃ……」
 はあ、とクローシェは大きく息を吐き出した。
(だいたい、私は「どこが良かったか」を聞いたのよ。それがいつのまにか「どこが好きなのか」にすり替わってるじゃない……確かに、意味合いとしては間違ってはないのだけれど)
 予感というものは悪いことしか当たらないようにできているのかもしれない。そんな馬鹿げたことを考えながら、彼女は心中で白旗を揚げていた。
 そして吐き捨てるように、ぼそりと呟く。
「……わかったわ」
「え、なに、レイカちゃん」
 聞き取れなかったのだろう、聞き返されてしまう。
 もう話そのものを終わりにしたかったが、話を振った当人が勝手に切り上げるわけにもいかない。
「……無理みたいなのはわかったわ、って言ったの」
「無理? って、なにが」
 クローシェは妙な疲労感を表情に滲ませつつ、自棄気味に答えた。面倒事はさっさと終わらせてしまうに限るからだ。
「本当は、適当に理由つけてクロアとの仲を反対してやろうかと思ってたの」
「え、ええー!?」
 予想以上にルカは大声をあげたが、もう騒がないでと注意する気力もない。
「でも無理みたいだからいいわ。……理由がないなら否定もできないじゃないの」
「え、あ、……で、でも、なんでそんなこと」
「……だって」
 やはりそこまで説明しなければならないのか。
 これではもう、自分は道化もいいところではないか。それを自覚したクローシェは泣きたくなってきたが、泣けばもっと情けない。だからぐっと我慢した。
 ただ、
「お姉ちゃんには幸せになってもらいたいもの」
 口調が拗ねた風になってしまうのだけは、どうにもならなかった。
「え?」
「クロアがそれなりに美形であることも認めるし、腕が立つのも素晴らしい才能だと思っているわ。でもお姉ちゃんの恋人として考えるとどうなのかしらって思っただけ」
「レイカちゃん……」
「確かに、彼は仕事はできるわ。それは否定しない。でもそれ以外は? プライベートでもちゃんとお姉ちゃんを支えてくれる存在? 私はクロアのプライベートな所はそれほど知っているわけでもないし、ココナに聞いてみても判断に困ることしか聞けなかったし、だから聞いたの――」
 そう言い終えようとした瞬間、突然クローシェの目の前に何かが迫ってきた。
 何事かと目を見開いたときには、半ば体当たりに近い形で抱き着いてきた相手の、その体重と勢いに負けて体が傾いでいた。
「ち、ちょっ、何なの急に……っま、待ちなさいルカ痛いからっ!」
 咄嗟に、倒れそうになった体を支えようとした腕が悲鳴をあげていた。
 幸い、ルカは「痛い」という単語に即座に反応してくれた。
「あっ、ご、ごめんねレイカちゃん、大丈夫!?」
「……平気よ。全く、なんなのよもう……」
 過剰な力がかかった手首を揉みほぐしながら、こういう手間はかけて欲しくないわと心中で独りごちる。
「あのね、レイカちゃん」
 話しかけてきたルカの表情は、ひどく柔らかくて優しいものだった。
 やや不穏なことを考えていたのも相成って、クローシェはそれにどきりとさせられる。
「お姉ちゃんは今とーっても幸せだよ」
 表情と言葉、その二つをぴたりと一致させて、ルカは微笑んだ。
「え」
「だって、小さい頃からずっとずっと助けたかったレイカちゃんが側にいてくれて、私のことまで心配してくれちゃったりして」
「お姉ちゃん……」
「だからね、レイカちゃんがここに居てくれるだけで、お姉ちゃんは幸せだよ? ……それで、クロアも居てくれたらもうちょっとだけ幸せになれるかな」
 冗談めかして付け加えて、ルカはえへへ、といつもの照れ隠しを浮かべた。
「……ずるい」
「え?」
「なんでもない」
 追求から逃れるように、クローシェはぎゅうとルカに抱き着いた。
(……そんな言い方されたら、もう反対なんかできないじゃないの)
 優しく抱きしめ返される。この温もりは自分だけのものだ。

 ――そうであればどんなにいいだろう。

 姉を一人占めできる時間にリミットができたことを明確に感じながら、でもそう簡単に渡してやるもんですかと子供じみた嫉妬を燃やしつつ――クローシェはとりあえず、人のベッドを勝手に使わない約束を反故にしようと決めていた。

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