「悠ちゃん、起きてよ、悠ちゃん!」
 気持ちよくまどろんでるアタシを、ゆっさゆっさと誰か――って海里しかいないケド――が揺すってる。気のせいかいつもより乱暴な感じ。
「ん〜、あと五分〜」
「それもう三回目だよ悠ちゃん。ほら起きて! 今日何があるか忘れたの?」
 今日? 今日は別にフツーの平日じゃないの。あー、めんどくさい数学ある日じゃない行きたくなーい。
「もうっ、昨夜までの努力は何だったの!? 早く起きないと寝癖直す時間ないよ?」
 努力? アタシがいつそんなものを――
「ってそうだったー!」
「はいブラシ。制服そこに出してあるよ。朝ご飯できてるからちゃんと食べてね」
「ありがとっ、海里」
 お礼もそこそこに、アタシはブラシ片手にベッドを飛び出した。ちらりと見えた時計はハッキリ言って信じたくない時刻を指し示していて、夢の世界に逆戻りしたくてしょーがない。
(――けど、今日ばっかりはそーも言ってらんないしっ!)
 顔洗ってどうにか気にならない程度まで寝癖を直して部屋に取って返して着替えてリビングに滑り込み。
 セーフだかアウトだかわかんないまま、ダイニングテーブルの上に朝食発見。
「あと五分だよ悠ちゃん」
「そんだけあればじゅーぶんよっ」
 お皿からトーストサンド――ハムとスクランブルエッグとレタスがごそっと挟まれたトースト――多分作ったときは一品ずつだったのよね、これ――を強引に口の中に突っ込んでいく。
 その間に海里は自分とアタシの鞄とコートを用意してくれる。素晴らしくデキた弟だわっ。姉じゃなければ婿に欲しいところよね。ま、既に姉なんだからいいんだケド。
「あ、海里紙袋持った!? できるだけ大きいやつよ!」
「う、うん……ちょっと気が進まないけど」
 コーヒーで最後の一口を流し込むと、お皿を流しに放置して玄関へダッシュ。
「そんなんじゃ小さすぎ。こっちでいいわよ」
「ええー!? やだよ僕そんなの」
「つべこべ言わない! ほら時間!」
 冬物バーゲンで散財したときのやたらデカイ紙袋を押し付けつつ、コートよし靴よし鞄よし、ではいざ出陣!
「って、待って悠ちゃんこれ忘れてどーするの!」
「あ。忘れてた」
「一番大事なものを忘れないでよね、もう」
 でっかい紙袋を必死で鞄に詰めている海里が、呆れ顔で差し出してきたそれを受け取る。
 小さめのかわいらしいワインレッドの手提げ。中には同じ色の紙袋。さらにその中には、昨夜までのアタシの努力の結晶が入っていたりする。
「行こう悠ちゃん!」
「うん、いってきまーす!」

 ――二月十四日、全国的なバレンタインデーの本日、アタシの朝はいつも以上に慌しく始まったのだった、まる。



 途中の道を一分くらいダッシュしたおかげで、どうにかこうにか遅刻しないで学園に到着。
 ……と思ったら、微妙に校門前が騒がしいよーな。なんだろ?
 何かあったのかな、と呟く海里に、行ってみましょと早足を促す。
 そうして校門まで行ってみると、ふわふわしたピンク色が駆け寄ってきた。
 何ていうか、全国的に行われてる今日のイベント、そのキャンペーンガールと言ってもおかしくないわね。
 整った顔をほころばせて、頬とかちょっぴり染めながら、ぱたぱたって小走りで来るんだもん、郁美ってば。
「おはようございます、悠里ちゃん、海里ちゃん」
「おはよー郁美」
「おはよう、郁美さん」
「はい、悠里ちゃん。それから、海里ちゃんも」
 挨拶が終わるなり、郁美は二つのラッピングされた小箱を差し出してきた。
「わ、ありがと郁美! 毎年悪いわねー」
「あ……、ありがとう、郁美さん」
「いつもお世話になっているそのお礼ですわ。お口に合えばよいのですけれど」
「合わないわけないじゃない。郁美の毎年すっごい美味しいもん。年に一度といわず毎日でも食べたいわ」
「そうだよ郁美さん。……僕、大切に食べるね。ありがとう」
「そう言っていただけると私も嬉しいですわ。ありがとうございます」
 とまあ三人でほんわかしてるわけだけど、実は周囲の視線が結構痛い。主に男子生徒からのこー、羨望のマナザシがちくちくと……。
 郁美ってば可愛いのに、そーゆーのは全部ゴメンナサイしてるらしいし。まあ郁美の家って結構厳しいみたいだし、庶民のアタシにはわからない色々があるんだろうケド。
 アタシは口元に手をやって、小声で言った。
「でも郁美、何もここで渡さなくても。休み時間とかでよかったのに」
「私もそうするつもりだったのですけれど……その、あれですわ」
「あれ?」
 郁美が示した先。校門のところの人だかりと、……張り紙?
「校門が騒がしかったのって、あれが原因かな?」
「みたいね。行ってみましょ」
 郁美はもう見たあとみたいだし、そこで待っててもらった。アタシと海里で人ごみを掻き分けて、押したり押されたりしながら校門――の門柱――を見上げる。
「……本日二月十四日における、チョコレート等の譲渡について?」

 それは学園からの正式な通達ってやつで――つまるところ、臨時で追加された校則みたいなものらしい(って、海里が説明してくれた)。
 ぶっちゃけた内容はこんな感じ。

 1.学園内でチョコ渡すの禁止。渡したいなら学園の外でやれ。
 2.但し寮生に限ってはクランチ前に回収箱を置いたからそこに入れとけ。
 3.教師に渡す場合は職員室前の回収箱に以下同文。



「どうもね、今朝の職員会議で急に決まったらしいんだ」
 三限目が終わって廊下に出ると、移動教室だったらしい海里とばったり会った。今時間大丈夫?と聞かれて、水を飲みに出ただけのアタシは一つ返事で了解して。
 あまり大きな声じゃ言えないからと隅っこに移動してから、海里は、一つ前の休み時間に自治会室へ行ってセンパイたちから聞いてきた裏事情を話してくれた。
「っていうか、これってちょっとオーボーすぎない? 去年まではなかったんでしょ?」
「うん。それで、悟先輩が悠ちゃんにごめんなって」
「は? 何で悟センパイが謝るの?」
「今回の一因でもあるからって。ほら、朗先輩と悟先輩の人気が凄いの、悠ちゃんも知ってるでしょ? 去年の今日とか凄かったらしいんだ」
「うわあ……凄かったでしょーね、それは」
 自治会長の朗センパイと、副会長の悟センパイ。
 どっちか一人だけでも存分に学園のアイドル状態なのに、それが二人もいたら最強すぎるわ。
 おまけに二人は親友同士だって言うんだからこう、うん、たまんないわよね色々。じゅるり。
「でね、去年が凄かったなら、今年はもっと凄くなるんじゃないのかって、先生の間で話が出たみたいなんだ。一応、朗先輩とかも自粛してくれって女の子たちに言ってるらしいんだけど、さすがに数が多すぎて聞いてくれない人とかも出てるみたいで」
 あー、いるわよねそういう抜け駆け組。当然、一人が抜け駆けしたら自分もーってなるわよね、そりゃ。
「なるほどねー……よくわかったわ。それじゃしょうがないもの。あ、悟センパイに気にしてませんって言っといて」
「うん。ごめんね。ありがとう、悠ちゃん」
「って、何でアンタが謝ってお礼言うのよ」
「えっ、う、うーん……何となく?」
「何よそれ。別にアンタが気にすることじゃないでしょ。渡すのがダメってわけじゃないんだから、えーっと、帰るときに職員室の箱に入れとけばいいんだっけ?」
 うん、と未だすまなさそうに頷く海里。
「ていうか、面と向かって渡すより気が楽でいいかも」
 そーよね、そう考えるとこれはこれでありがたい気がしてきたもの。
 っていうか、たかだか二人の男子生徒のために臨時で校則作るこの学園もどうかと思うケド。金持ち学校のやることってよくわかんないわ、ホント。
「でも僕なら……手渡しされた方が嬉しいけどな」
「こら海里。人が納得してるとこを蒸し返さないでよ」
「あ、ごめん。じゃあ悠ちゃん、お詫びにこれ」
 海里が渡してきたのは、小さなメッセージカードだった。もちろん、何も書いてない。
「なにこれ」
「箱に入れるんだったら、誰から誰宛てなのかとか書かなきゃでしょ? ちゃんと一言メッセージもつけるんだよ」
「メッセージって、どんな?」
「うーん。そうだなあ、例えば……世界で一番大好きです(はぁと)、とか」
「っんな、か、書けるわけないでしょーが!」
「あはは。でも悠ちゃんは照れ屋だから、口で言うよりは伝えやすいんじゃない?」
 う。いらないトコまで見抜かれてるし。
「年に一度の、女の子から堂々と告白していい日なんだから、伝えておいた方がいいと思うけどな」
「うー……まあ、考えとくわ」
「うん。頑張ってね、悠ちゃん。それと僕今日は自治会で遅くなりそうだから、先に帰って待っててね」
「わかったわ。あ、今日の夕飯はデザートがチョコなんだから、軽めのにしてね」
「もー悠ちゃん、全部はあげないよ? 一口ずつだからね」
「わかってるわよ。くふふ、楽しみー」

 というわけで、アタシのバレンタインは何事もなくあっさり終わることとなりました、まる。



 ……んで結局のところ、そう簡単に終わってくれなかったんだけど。
 ま、世の中そんな甘くないわよね。いくらチョコの日でも。
 うーん。甘ったるいのもアレかなと思ってビターチョコとか使ったのがいけなかったのかしら。

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