あの頃、自分は何の為に生まれたのかって、ずっとずっと考えていた。
だって俺は望まれて生まれた存在じゃない。アッシュのレプリカで、つまりは偽物だ。
師匠の計画の「捨てゴマ」として生まれただけの偽物。
確かに、計画を進めている最中の師匠には望まれていたのかもしれないけれど、でも役目が終わればやっぱり要らないものになっていた。
それに何より、この世界に住む人たちから見ればそれこそ俺は、元からいなかった方が良かったに違いない存在だ。――アクゼリュスの人たちにとっては、特に。
俺は望まれていないのに生まれて、望まれたはずのアッシュの場所をぶんどって、たくさんの人たちに望まない死を与えた張本人で、なのにのうのうと生き続けている。
あれだけのことをしておいて何で生きているのかと、そう思わずにはいられなかった。
それはやがて、あれだけのことをしておきながらもなお、生き延びなければならない意味がないとおかしいんじゃないか、という考えに繋がった。
自分がこうして生き続けていることには意味があって、だから辛くても苦しくても誰かを傷つけてもそれでもなお、存在し続けなくてはいけない。
そんな運命とか宿命みたいな理由があるに違いないと、そう思い込みたかった。
まあつまるところ、あの頃の俺は――今、そしてこれからも、自分が生き続けていいっていう免罪符が欲しかっただけだった。
この先もずっと、当たり前のように息を吸って吐いて、何か食べて寝て、みんなと話して笑っていても構わないっていう、ささやかな許可が。
でもそんなものは誰もくれなかったし、自力でも見つけられなかった。
そうしてやっぱり自分には生きる意味はないんだって思って、じゃあいない方がいいんだって思って、できもしないくせに死にたがった。
理由もなく生き続けることが怖かった。
もし次に、おまえは何故そこに居るのかと聞かれたとき、胸を張って理由を述べられなかったら、――存在を否定されてまで生き続けることの辛さに、耐えられそうになかったから。
だから理由が欲しかった。
だから俺は、生まれた意味を欲しがってたんだ。
(……そういや、色々考えてたよな。みんなの生きる意味ってやつ)
ティアに何度も言われてた通り、俺は本当に馬鹿だった。
俺以外の人間にはみんな生まれた意味があるんだとそう思ってた。俺だけがないんだって。あるかもしれないけど、見つけられてないんだって。
そうしていじけてた俺は、周りじゅうの人間に対して、その人の生きる意味を考えては決め付けてた。
誰にはこんな意味がある、誰それにはこんな意味がある――よってその人は世界に必要な存在で、だから今を生きているんだって。
そもそも「生まれたことの意味」なんてのは後付けにすぎなくて、生まれることに先立つものじゃあない。
預言がなくなった今となっては、特に。
人や物や世界は、誕生して初めて意味を持つ。今ここに存在しないものに意味なんか付けてもしょうがない。
いやもちろん付けるのは個人の自由だとは思うけれど。
でも少なくとも俺は――今の俺が感じている「生まれた意味」は、俺が生まれる前に、誰かから勝手に貼り付けられたものとは違う。
何より今の俺は、「生まれた意味」なんてなくても生きていける。生きていこうと思う。
自分が「生きている」そのことこそに、意味があると思うから。
「ほんっと、馬鹿だったなー、俺」
呟きが海風に飛ばされていく。
こみ上げる苦い思いに口元を歪めながら、情けない、けれど偽物なんかじゃない己の過去をゆっくりと振り返る。
夜明け近くの定期船の甲板上で、俺は眠気が訪れるまでずっとそうしていた。
*****
「静かだな……」
当たり前のことを呟きながら、ぶらぶらと歩く。
その静けさは暗くて冷たい陰湿な何かではなく、ただ明日を迎えるために休んでいるという、必然ながら自然である、あたたかで緩やかな空気の流れが作り出していた。
誰もいない夜の街中を歩き回っていると、世界の中で一人だけ浮いている気分になる。
髪が短かったあの頃だったらたぶん、被害妄想的なものを感じていただろう。例えば、己が異物として取り残されたような――孤独感とかを。
けれど今は決してそうは思わない。むしろ、休んでいる皆を見守る番兵にでもなったような、優越感にも似たどこか誇らしげな心地だった。
とはいえ、別に自分は――二年も経った今の――この街で何をしたわけでもないし、するとすれば明日からなのだが。
(あー……何やってんだろーなー、俺)
あれこれ理由やら役割やら任務やらを取り繕って、バチカルの自宅を発って早数日。ようやく辿り着いたここはセントビナー。ティアが、教団の一員として忙しなく働いている街。
事前に訪問を連絡しておいたせいか、ティアはわざわざ宿舎の空き部屋を用意しておいてくれた。(街の宿は既にいっぱいだったらしい)
昨晩は船泊だったせいか寝付きが悪くあまり眠っていなかった。生あくびを繰り返す俺に、ティアはもう休んだ方がいいわと笑顔で告げてきた。
正直名残惜しかったけど、それでも素直に従ったのは、明日ティアの手伝いをすると約束をしたからだった。
ついでに言うとティアは明日の午後から会議か何かがあるらしく、手伝うのは午前中だけ。まさかこれで寝坊なんかできるわけがない。
俺はおやすみと挨拶をして部屋に引き上げて、ベッドに潜り込んだ。
灯りを消して、暗さに目を慣らす前に瞼を下ろす。ふー、と長く息を吐いた。意識して呼吸する場所を口から鼻に移してから、規則的に吸って吐いてを繰り返した。
そうしていればすぐにでも眠りにつけるはずだった。
少なくとも最近はそうだったのだ。夢見も悪くはなかったし、むしろ何も見ない日の方が多かったくらいで、あの頃みたいに夜中に飛び起きるなんてことも滅多になくなった。もちろん、完全になくなったわけではないけれど。
俺はしばらくの間そうしていた。
……まあつまり、しばらく経っても寝付けなかったってことなんだけど。
部屋に戻るまでは確かにあくびが続いていたし、体もちょっと重かった。頭の奥がぼんやりする感じで、つまり眠かったはずなのだ。
なのにどうしてか眠ることができず、やがて俺は閉じたままの両目を開けた。
暗さに目が慣れ、うすぼんやりとした天井を視界に納めたとき、自宅のそれと比べてずいぶん低いと感じた。いや、本当は俺の部屋が高いだけってことはわかってる。何せ俺は約一年のうちに世界中の宿を泊まり歩いて――いや、飛んで?――いたわけだし、自宅がいかに特殊かってことは理解してるつもりだ。
だからただ、その低さがどことなく懐かしくて、ああ俺家の外に出てるんだなーって、今更な実感をした。
そのうち天井を見続けるのに飽きて、首を横に向けてみた。
小ぎれいに整頓された部屋だった。あるのはベッドと小さな書き物机とイスだけという、必要最低限の物しか置かれてない、他に整頓の仕様がない部屋とも言えたけど。
ベッドのシーツもちゃんと洗ってあるようだった。ここ数日雨が続いていたらしいので、さすがに布団が干したてということはないようだがそれでも、布団特有のふかふかした肌触りは心地よく全身を包んでくれていた。よって、眠れない原因は寝具との相性問題ではないらしい。
確実に体は疲れているはずだった。
陸に上がって辻馬車を使おうとしたら、タッチの差で乗り損ねてしまった。次にやってくるのはいつだかわからないと知って、五分もしないうちに歩き出した。そのうち小走りになり、気がつけばかなり全力に近い状態で走り続けていた。
息があがってからようやく徒歩に戻り、でも呼吸が整うとまた走り出した。よくよく計算してみると、行程の約半分を走破してしまったことになる。
これで疲れない方がおかしいだろう。最近屋敷に引きこもったままの日も多かったから、いい運動にはなった……というのがせめてもの救いだろうか。
そうして街が見えてきた頃、たぶん次の便だったんだろう辻馬車に追い抜かれた。
当然、ぶつけどころのない悔しさがこみ上げてきた。同時に、俺は一体何やってるんだと呆れもした。もう少し我慢して待っていれば、こんな疲れることもなかったのに。
けれどそうまでしても、少しでも早く、会いたかった。
たとえ話せなくてもいい。一目見るだけでもいい。
手を振ったら気が付いて笑顔を返してくれでもすれば、とりあえずは満足だ――そう思って、ここまで来たのだから。
俺は何度か寝返りを打ってみた。枕の位置とかも調整してみた。
三十分ほどそれを繰り返したものの、やっぱり眠ることはできなかった。まあ三十分というのは大体それくらい経っただろうと思っただけで、正確な時間は計っていない。本当は十分程度しか経っていないのかもしれない。
でもとにかく、ベッドの上でごろごろし続けるには我慢の限界に達していたのだ。
とりあえず体を起こしてみた。トイレへ行って水でも飲もうかと考えるが、喉も渇いていなければトイレも用はなさそうだった。
明日はティアの手伝いをするのだから、失敗など許されない。寝坊は問題外として、起きれたにしても寝不足でぼーっとしてしくったりしたらマジで最悪だ。だから眠らなくてはならないのに。
(つーか……もしかしなくてもこれ)
妙に落ち着かない。そわそわする。眠いのに目が冴える。
じっとしていられないというか、じっとしているのが惜しいというか。
(明日が楽しみで興奮して眠れねーとか、そういうことか俺?)
一度思いついたその考えは、紛れもない事実として脳内に染み込んでいく。
俺は力なく上げた片手で、額を押さえた。頭痛がしたような気がしたのだ。
といっても、あの便利連絡網のような実際の痛みがあるわけではなかった。ただ何というか、心が痛いとでもいうのか。
「ガキかよ……」
心底自分に呆れ返った。
俺は一応、身体的には成人している(といってもいい)はずなのだ。なのに、この幼いにも程がある精神構造はどうしたものか。
おまけに久々にティアに会いに来た場所で自覚するハメになるとは、情けないとかそんなことを思う前に、ひたすら居たたまれない心地になった。
もう眠気があろうとなかろうと、この鬱々とした気分を晴らさないことには寝るに寝れない。
はああ、と大きくため息を吐いてから、俺は何気なく窓を見やった。
差し込んでくる月明かりは、今が穏やかな夜であることと、明日の天気が晴れだということを教えてくれている。
自然、散歩でもしてくるか、と思った。
(連続で夜更かしか……)
しかしここでぐだぐだしていても眠れそうにないのは確かだった。仕方ない、とさらに深いため息とともにベッドから抜け出す。
そうして俺は一人、夜の街並みへと入り込んだのだ。
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