(こんな浮かれてんの俺だけだよなあ……)
 街中をぶらつきながら、ふと思う。
 今日会えたときもティアは冷静だった。いらっしゃいルーク久しぶりね、って普通に挨拶されて、その後すぐティアは部下だか同僚だかに呼ばれて、ごめんなさいまた後でね、ってそれで終わり。
(そりゃあちょっとは笑ってくれたけど、感激したって風でもなかったし……っていや、感激するのも変か。そもそも手紙でやりとりはしてたわけだし、来ることだって知らせてあったわけで、何もそこまで大げさに喜ぶようなことじゃないよな)
 そんなティアに、俺も冷静に応対したつもりだ。ちゃんと笑顔で見送って――心の中だけでちょっとガックリした。冷血女は未だ健在か、とか思ったのは失礼だと思ったからすぐ打ち消したし。もう見えなくなった背中に向かって謝ってもおいた。
 俺とティアはやっぱ違うんだな、と思う。
 それは「男と女」とか「元レプリカと人間」とかそういう意味じゃなくて、なんつーのか、その。
(もっと大人にならねーと、いつまでもガキ臭いままじゃそのうち愛想尽かされてもおかしくないよな……)
 考え方とか、捉え方が違う。
 つまるところ、精神的に子供か大人かっていう話なんだろう、これは。
(あ、でも約束はまだ有効なんだよな)
 「俺を見ている」という約束。あれは二年も経って帰ってきた今も継続中なのだ。
 つまり約束が反故にされない限り、ティアは変わろうとする俺を見続けてくれるわけで――
(って待てよ。それって、俺がちゃんとした人間に成長したら見る必要はないってことで、……成長した後も俺のことを気に掛けてくれるっていう保証はどこにもないんだよな。でも一応好きって言ってくれたんだし……っつーかそもそもずっと好きでいてくれる保証自体がねーじゃんかよ、俺がティアを嫌いになるのはありえねーにしても!)
 だんだん論点がズレていく思考は大いに空回りして、最終的には「もっと頑張れ俺」という、さっきとさして変わらないものへと収束した。おかげで浮かれっぱなしだった気分が少し落ち着いた。気が重くなった、とも言うけど。
 軽くため息をついて、いい自戒にはなったよなと自分を慰めていると、カツカツ、と静寂を破る鋭い音が聞こえてきた。
 振り返って夜闇に目を凝らす。
(あれ、まさか……)
 間違いない。部屋に引っ込む前に見た、教団服のままのティアが俺に向かって駆けてきていた。
「ティア? ……何かあったのか!?」
 こんな夜中に自分を呼びに来たのだから、物盗りとか火事とかそれとももっと重大な問題が起きたのかと思ったのだ。そんなときに俺は何を街の中をほっつき歩って、と自分の場違いかげんを呪いさえして。
 目の前までやってきたティアは訝しげな表情で見上げてきた。なんだろう、なんか――無知すぎるがゆえの迂闊な判断とかで――しくったんだろうか俺。
「ルーク。あなたこそ、何かあったの?」
 あったなら正直に話して頂戴――なんて続けられて、俺は軽く混乱した。
「何かって、別になんもねーけど」
「なら、どうしてこんなところにいるの?」
「そ……それはその、寝付けなくて」
 ちょっとした詰問調子に逆らえずに、うっかり本当のことを口走ってしまった。もちろんティアは即効で指摘してくる。
「寝付けなかったって……あんなに眠そうにしていたのに?」
「い、いやそーなんだけどさ、その……そうだ、途中で目が覚めちまって。そしたら目がさえちまったっつーか……」
 語尾を濁しながらも、即興にしてはそれらしいことを言えたと思う。
 ティアはまだ疑うような目つきを向けてきていたが、やがてため息とともに目を伏せた。
「……そう。なら、いいのだけれど」
「って俺のことより、ティアこそ何かあったんじゃないのか?」
 何もないわと首を振るティアは、どこか疲れたような瞳を遠くに向けて、それから俺にちいさく笑ってみせた。
「玄関が開く音がして見てみたら、もう眠ったと思っていたあなたが出て行くんだもの。何かあったのかと思うでしょう」
 ティアの笑みはいつしか苦笑に変わっていて、俺は申し訳なさでいっぱいになった。
「……ごめん」
「別に謝らなくてもいいのよ。でも、あまり心配はさせないで頂戴」
「わかった。心配してくれて、ありがとな」
「ええ。それじゃあ、戻りましょう」
 先に歩き出したティアを、俺は数歩遅れで追いかけた。
 最初は隣に並んで歩こうと思っていたのに、気が付いたら妙に心臓がうるさくなっていて、歩幅を広げるタイミングを見失ってしまった。
 数刻前に眠たがっていた俺が、何故か外へ出て行った。
 たったそれだけのことだというのに、ティアは心配して追ってきてくれたのだ。
 ここは魔物や夜盗が出没する野営地でもない。それに今の自分の実力なら、よほどの強敵でもない限り負けはしない。バチカルの闘技場で名を馳せたのは伊達じゃあない。
 そりゃ今は武器は持ってきてないけど、でもなんとかする自信はある。逃げるなり、武器を手に入れるなり、方法は色々ある。今の俺はその方法を考えることができるし、実行にも移せるのだ。
 だから本当は、ティアが心配することなど――まして外に探しに出てくるなど――何もないはずなのだ。
 それなのに今、ティアは俺の前を歩いている。
 俺を迎えに来て――あんな顔で、心配させるなと釘をさして。
(……)
 胸の奥からじわりと染み出した感情が、顔面の筋肉を弛緩させていく。ついでに温度までも上昇させるもんだから、俺がティアの隣に並ぶにはもう少し時間を置かなければならなかった。
 でもそんなことをしてる間に絶対に宿舎まで戻ってしまう。
「――ティア」
 歩き出して多分、一分もしてないと思う。
 俺の足はすっかり止まっていて、十歩くらい先にいるティアは訝しげに振り返った。
「なに? ルーク」
「あのさ、……もうちょっとだけ、話とか、できねーかな」
 本当にちょっとだけでいいから、とダメ押しのように付け加える。

 そのときまでは、明日になればティアの手伝いをするわけだしそこでティアと話せるからそれでいいや、と思っていた。
 でも今のところ、どんな手伝いをするのか聞いていない。重いものを運んだりする肉体労働なのか、書類整理とかの頭を使わなきゃならない頭脳労働なのかもわからない。
 そしてどのぐらい大変な作業なのかもわからないのだ。口を動かす暇もないかもしれない。暇があったにしても、真面目なティアのことだ、「私語厳禁よ」と言ってもおかしくはない。
 つまり、今を置いて他に、ティアとゆっくり話せる機会はないんじゃないんだろうか。少なくとも、今回の訪問では。

 ……というような自分への言い訳を完成させた上で、俺はティアを呼び止めた。
 頬が赤いのがおさまるまでの時間稼ぎと、こんな気持ちを抱えたまま部屋に戻って寝るなんて到底無理だと思って。

 ティアは考えるように視線を上向かせて、ぶつぶつと呟くように言った。
「そうね……今日は結局、あなたとほとんど話ができなかったし」
 やがて、柔らかい笑みが、月明かりの中に浮かぶ。
「いいわ。じゃあ、広場の方へ寄り道していきましょう」

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