広場の真ん中、花壇の仕切りになっている煉瓦に腰を下ろす。何から話そうかと考えつつ、俺は横を盗み見てみた。
 月明かりに照らされたブロンズの髪が薄く反射して、わずかな眩しさを錯覚させる。思わず眇めた目でさらに見つめ続けていると、何故か頭の中が真っ白になっていった。けれどまるで縫い止められたかのように視線を逸らすことができない。
 切り出そうとした話の内容すらも霧散しかけたそのとき、ティアがこちらを向いた。
「……ルーク?」
 あれだけ動かなかった首が素早く動いた。
 目の前で慌てて空を見上げられたりしたら、普通は怪訝に思うだろう。
 のっけからしくったと後悔しながら、努力して首の位置を戻した。顔が赤くなってるのは暗いから多分バレやしない、そう自分に言い聞かせながら。
「その、……い、いい月だなーと思って」
「……本当ね。ここのところずっと雨とか曇りがちだったし、私も久しぶりに見たわ、こんな月」
 ティアの首が上向いた。それを追従して、しばらく二人で月を見上げていた。
 もちろんそんな間がずっと持つわけはない。どうにか誤魔化した今のうちに考えをまとめなければならない。
 だが焦れば焦るほど思考が霧散するばかりで、やがて首が痛み出す。しかし首を下ろしてしまえば、何か話さないわけにはいかないだろう。
「ルーク?」
 一人で真上を見上げ続ける自分は、結局不審がられてしまう運命だったらしい。
 諦めて首の位置を戻していく。途中、横を向こうと思ったが実行には移せずに、そのまま下にかくんと折れた。
「話があるんじゃなかったの?」
「ああ、うん、その……なんつーか」
「落ち着いて。ゆっくりでいいわ」
 やんわりと宥められてしまった。ああやっぱ俺って駄目だと情けなさを噛み締めて、しかし一度認めてしまえば諦めもついた。今更かっこつけたところで、ティアには自分がいかにへたれかということは知られすぎている。
 変わっていない、成長していないと思われたくはなかったが、実際成長できていないのだから、今は誤魔化せてもいつかはボロが出るだろう。
 眠れなかったときにも考えたけれど――例えば明日の手伝いの最中に、ティアとその仕事仲間たち全員に迷惑をかけるとかいう、最悪の形で露呈する可能性だってあるのだから。
 それなら、二人だけの今のうちに知られておいた方が断然マシだろう。
「……ごめん。なんか……ほんとはさ、ティアと会ったら色々話したいことがたくさんあったはずなんだけど」
 顔も上げられずに、地面を見て話した。
 すぐ隣で、くすりと笑った気配。ああもっと精進しないとだよな、俺。
「私もそうよ」
 言われて、一体何に対して同意されたのかわからなかった。そっとティアの方を窺うと、
「私も、あなたが戻ってきたら話したいことや聞きたいことがたくさんあったわ」
 でも、と苦笑混じりに続けられる。
「いざとなったらほとんど話せていないし、聞けてもいないもの」
「ティア……」
「もちろん、機会がなかったせいもあるけれど……だから、今のあなたの心地は、少しだけわかるつもりよ」
 ぐ、と腹に力を入れた。両手を強く握り込んだ。口が開かないようぐっと引き結んだ。
 そうでもしないと、顔面がおかしな形に歪んでしまいそうだった。というか、手が出そうだった。なんというかこう、不埒な感じのやつが。
 一時の衝動に任せて何かをするのは、子供っぽいというか、相手の気持ちを考えてやれてない人間がするものだと教わった。忠告をもらったときはなんのことだかよくわからなかったけど、たぶん今のこのことを指しているんだと思う。
 俺はかなりの努力をして、別な話題を口にした。
 そしてそれは、ちょっとした確認でもあった。
「……ティアはさ、なんでこんな時間まで起きてたんだ?」
 え、と間の抜けた声がする。唐突に話題を変えたせいで驚かれたみたいだった。
「仕事?」
「え、ええ……まあ、そんなところよ」
「そっか」
 ふー、と息を吐き出す。
 確認終わり。予想通り。裏切って欲しかった期待そのままだ。
 そうなのだ、何も高揚することなんかない。いくらティアが「自分の心地が理解できる」と言ってくれたところで、自分とティアが全く同じ気持ちになったわけではないのだ。
 妙にドキドキしているのも、明日が楽しみすぎて興奮して眠れないのも――情けないのは自分ばかりという、ただそれだけの事実なのだ。
「ルーク?」
 不思議そうな声に呼ばれる。
 どうやら、情けなさのあまり妙な息を吐き出したのを気付かれたらしい。
「ああうん、なんでもねー」
 浮かれてるのは自分一人だけ。
 つまり――やっぱり俺はへたれのままで、駄目なまんまなのだ。あんまり成長してないってわかってたけど、でもそれは、わかってた「つもり」だったんだ。
 何故か込み上げてくる安心感にも似た何かと、ぎゅっと締め付けられる胸奥。自然と力ない笑みが浮かぶ。
 随分と気が軽くなっていた。もうなんだっていいや、と思う。
 どこか吹っ切ってしまったような心地の俺からは、本当のことがするりと口をついた。
「俺さ。明日もティアと会えるって思ったら、嬉しくて寝れなくってさ」
 でもさすがに当人を見据えて言うのは無理だった。意図的に視線を逸らしたまま、独り言みたいに続ける。
「それでずっとほっつき歩いてて、……変な心配させてほんとにごめん。つーか、興奮して眠れないなんてガキみてーだよな」
 ははは、と笑う。乾いた笑いになってしまったのはきっと気のせいだ。落ち込んでない、落ち込んでなんかないからな。明日から頑張るんだよ俺は。だから今日でへたれの俺ともさよならだ――また髪でも切っとくか?
 そうして思考だけが一人で独走を始めた頃、
「……ばか」
 ティアの返答はそれだけだった。それきり黙ってしまう。
 素晴らしく端的かつ的確な感想だと思った。確かに俺は馬鹿だ。でもってへたれだ。二年経ってもなお、一つとして変わってない。
 でもなんていうかその、正直ヘコんだ。
 ティアの冷血っぷりは本当に相変わらずなのだ。ティアが俺の知ってるティアのままで嬉しいと思う反面、そのへんはちょっと変わってくれても良かったのに、とも思う。
 その、もうちょっと優しくしてくれてもいーんじゃねーのかなーとか。一応俺たち、両思いってやつだよな? 帰ってきたときに、確認したよな?
 でもいつだって、ティアの言うことは正しくて、俺の言うことは大抵間違ってる。これは多分世界の真理だ。
「……悪かったな、二年も経ったわりにろくに成長してなくて」
 だからいつだって俺に言えるのは負け惜しみでしかないのだった。あーくそ、情けねー。
「そうじゃないわ」
 ティアはきっぱりと断言した。俺は何がどう「そうじゃない」のかさっぱりわからなくて、きょとんとティアを見返す。
「私だって、なかなか寝付けなかったのは同じよ? なら、書類でも片付けてしまおうと思って……そしたらあなたが出て行くのが見えたから」
「……マジで?」
「嘘を言ってどうするの」
 ティアは俯いたままで、呆れたように言った。
 それから少し間が空いた。
「……明日、あなたに手伝いをしてもらうように言ったけれど」
 気まずそうにティアが続けてきたのは、前後の繋がりが見えない話だった。何にしてもわけがわからないので、口を挟むことはしない。
「本当は、大して忙しいわけでもないし、あなたに手伝ってもらわなくても平気なの」
 ぐさりと来た。
 いやもちろん、「人手は不要」だって言われてるだけなんだってのはわかってる。でもどこか、「俺の手伝いなんか必要ない」と言われてるように感じてしまう。
 つーか、こういう考え方も多分ガキっぽい理由なんだよな。しっかりしろよな俺。
 そうやって心中で自分を叱咤していると、
「でも、午後はもう時間は取れないし、用事がなければあなたは明日にもここを立ってしまいそうだったし」
 なんだか話の風向きが変わってきていた。でも結論は全然わからない。
「あなたと話ができないのは私も心残りだし、……だから、お願いしたの」

 ――いやむしろ用事がないとティアの所にいちゃいけなさそうだったから無理にお願いしたのはこっちなんだけど。

 このツッコミは盛大に行われた。俺の心の中限定で。
 直に口に出せなかったのは、頭の半分ぐらいが状況についていけてなかったからだ。
 ティアは何を言っているんだろう、どうして自分が思っていたことを、ティア自身に置き換えて言ってるんだろう、って。
 それきり黙ってしまったティアをぽかんと見つめていると、空気に耐えきれなくなったのか、ぽそぽそと、拗ねたような声が聞こえてきた。
「……私だって、今日、あなたに会えて嬉しかったんだから」

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